バレンタインデイ

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バレンタインデイ

 たとえば正月。  たとえば盆。  それから、クリスマスもそうかな。  日本全国どこもかしこもって浮かれざわめく年間行事、って感じではなく。  局地的に……ごくごく一部の年齢帯の人間だけが、そわあって浮かれるそんな時期。  それが二月。  今日はバレンタインデイだ。  ご多分にもれず、俺――羽鳥慶(はとり けい)――だって浮かれます。  先日は恥ずかしいのをこらえて、ちょっと値のはるチョコレートを手配しておいた。 『ふわりと花が綻ぶような』って言いたくなるような、あの笑顔のためなら、多少の気恥ずかしさくらい乗り越える。  だって、好きな人のためのイベントだ。  笑顔のために頑張るし、その笑顔を想像しては、浮かれたりもするだろう。  届いたって報告を楽しみに、待機したりするだろう。  でも。  一方で、浮かれつつ腹の底にたまったぐるぐるが、もう、これもう、って感じで重たくのしかかる。  それでも外面はいい方だから、友人と一緒の時には平気な顔をして。  自分一人になると、こうやってスマホの画面を眺めてうだうだとしている。  俺の大事な人は、今、手の届くところにいない。  いわゆる遠距離恋愛だ。  俺は大学進学でどうしてもどうしても、という状態で、地元を離れて寮に入った。  二年間だけは寮に入らなきゃいけなくて、どうしようもなかったんだ。  俺の大事なミキ――小椋美樹(おぐら よしき)――は、まだ高校生で親元にいる。  大学は同じじゃなかったとしてもこっちに進学して、その時はルームシェアという名の同棲をしよう、そう約束して早一年と十か月。  同性だってことの迷いなんか、付き合い始める前に乗り越えた。  物理的な距離も、お互いの努力で今のところ素敵なスパイスだ。  約束の日はもうすぐやってくる。  し・か・し!  人によっては『脱!童貞処女』を掲げるバレンタインというこのイベント。  これが単純に浮かれていられようか。  かわいいんだよ。  誰が何と言おうと、俺のミキはかわいいんだ。  それなのに、こんな浮かれた時期に、俺は近くにいられない。  狙われたらどうするよ、っていうか、狙われない訳がない。  だって、ミキだ。  そして、現在ミキは高校三年。  人によっては高校生活をかけての最後のチャンスとばかりに、猛攻を仕掛けてくるだろう。  ミキの気持ちを疑ってはいない。  これっぽっちも疑ってないし、疑いをはさむ余地もない。  俺は単純に周りの野獣ども――男女関わらずの肉食獣たち――の暴走を心配してる。  寮の部屋の床に、ゴロゴロと転がる。  本人はもやしだと言い張るけれど、すっと伸びた平均より少し高めの身長。  色白で細いけれど、でも貧弱じゃないしなやかな身体。  頭が小さくて、手足が長くて、バランスがいいシルエット。  サラサラの黒髪。  口下手で人見知りで、感情豊かで言いたいことは表情に出る。  普段そんなに舌っ足らずな感じはないけど、『けー先輩』って俺を呼ぶときだけは。  そういうときにだけ、少しだけ甘えたような口調になる。  色んなことに器用じゃないけど一生懸命で、情に厚くて、優しい。  ああ。  会いたいよ、俺のミキ。 「羽鳥ー、郵便来てたー」  部屋の扉がノックされる。  俺は慌てて外面を整えて、受け取るために扉を開けた。 「おー、さんきゅ」 「なあ、それ、誰から? 彼女??」  隣の部屋の同級生が不思議そうな顔で、俺に茶封筒を差し出した。 「は?」 「や、だって今日だしさ。けど、なんかほら、封筒に色気ないしなあって……でも、差出人がさあ」 「差出人、見たのか」 「許せよ。差出人だけじゃん」  はあ。  まあ、寮なんてこれくらいプライベートがないもんだろうけどさ。  あらためて受け取った封筒を検分する。  定型の料金で送られる、少し大き目のごくごく普通の事務用茶封筒。  厚みはないけど、なんか……カード? っていう感じのものが入ってる。  宛先は俺。  読み取る相手のことを考えたんだろうなっていう、きっちりと角の整った……少し緊張したなってわかる、ミキの筆跡。  差出人は間違いなく、ミキ。  字面だけだと女の名前に見えるのをわかっているから、ミキは郵便を送ってくることに躊躇いはない。  電話はスマホであっても、頻繁過ぎないかとか気にするくせに。 「ああ、うん。あいつからだな」  俺の口から彼女とは言わない。  ミキは俺の大事な人で恋人だけど、決して彼女じゃないから。 「にやけてる」 「当り前だろ」 「ああ、いいよな~。ごち」 「あはは、お前も頑張れ」 「今日はもうほとんど終わりだろうがよ」  はいはいと呆れたように笑う相手に手を振って、俺は扉を閉める。  何だろう。  封を切って中身を出した。  板チョコ。  それだけ。 「ぷ……ふふふ……」  かわいいなあ。  ホントにかわいい。  大好きだ。  ひとりで腹を抱えて笑っていたら、スマホが着信を伝える。  この音は、ミキから。  大急ぎで着信ボタンを押して、何よりも先に伝えよう。 「ミキ、愛してる」
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