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Forsythia suspensa 連翹-3
今は新緑が木々に萌え、彼らが陣取る辺りにも、少しづつ木蔭と言えそうな翳りが拡がっている。陽射しがキラキラと眩しい。
「何だったんだあ、水上の連れて来たアレ」
松山が憤慨する。矢口が隣で腕を組む。
「いつも大人しい水上だけど、何か事を起こすときには賑やかだなあ」
「ちょっと待ってよ。あれは別に水上君のせいじゃないよ」
郁也は急いで水上を弁護した。
水上は申し訳なさそうに、ひょろひょろと長い身体をくしゃくしゃに縮めて郁也に謝りに来た。「あんな積りじゃなかったんだ」と。
水上がけしかけた訳じゃなし、あれは須藤とかいう一年生の性格の問題で、それを見抜けなかった水上の落ち度ではない。
「そうは言うけど、あいつ『また来る』って言ってたろ。甘いよ谷口」
「そんなに変わったヤツなのか」
中野はいつものようにのんびりと顎をこすっている。松山が勢い込んでそちらを向いた。
「そんな中野サン、変わってるも変わってないも……」
松山が昼休みあったことを中野に話して聞かせる。郁也はまた不安になってきた。あんな攻撃的なヤツが郁也の周りをうろちょろして、立ち入った郁也の事情を知ってしまったら。
どんな嫌がらせをされるか分からない。自分だけで済めばまだしも、傍らに座る佑輔、彼にまで何か被害が及んだら。そう考えるとぞっとした。考え込む郁也を、佑輔が心配そうに覗き込んだ。
「郁?」
「ん。大丈夫」
こっそり郁也の名を呼ぶ佑輔に、郁也は首を傾げて笑って見せた。大丈夫。みんながいてくれるもの、ボクは、大丈夫。
松山が昼休みの闖入者について中野に語り終えると、矢口が嘆息した。
「……それにしても、派手なヤツだったなあ」
「へえ」
面白そうに中野が片眉を上げた。
「美形っちゃ確かに美形なんだけど、この谷口みたいのとは違って。何つーのかな、もっとこう……」
矢口が腕を組み直して天を仰ぐ。言葉を探しあぐねて黙った矢口の後を、松山が引き継いだ。
「『売り出し中のアイドル』って感じかな。ケバいってのか何てのか……。谷口よりももっとずっとオンナっぽくて、疲れが顔に出てるっつか、何か荒んだ感じっつーか。投げ遣りってのかな。何にせよ、谷口みたいに上品じゃなかったよ」
昼休みの須藤の狼藉を、松山は苦々しくこう評した。中野は顎をこすって黙っていたが、松山が喋り終えるとぼそっと呟いた。
「そんな派手なヤツなら相当目立つだろうに。三月まで中等部だったとしても、噂くらいは聴こえてそうなもんだが」
「ああ。高等部から編入してきたって言ってた。寮生だって」
「ふーん。寮生ねえ」
「写真がどうとかって、言ってたよな、あいつ」
それまで黙っていた佑輔が、唸るように言った。矢口が佑輔を振り返り、頷いた。
「言ってたな。『門外不出のポートレート』とかって。去年の『白雪姫』と一昨年の『アリス』と。二年分とってあるのか?」
「おうおう。あったぞ、そう言えば。寮の玄関入ってすぐの、何だ、『面会室』だか『会議室』だかそんな部屋に、大事に飾ってな」
そう言って中野が冷やかすような視線を郁也に送る。
「額に入れたのがそれぞれ一枚づつと、後は押しピンで留めたのが、いつも大体三枚前後、くらい、かな」
「何だよ、その、『前後、くらい』って」
佑輔の声が更に低くなる。中野はつらっと答えた。
「そりゃ、あれだろ。『お貸し出し』ってヤツだろうさ。寮生なんてお前らと違って、毎日下界に下りる訳じゃなし。生身の女なんて、もう何年もまともに拝んでねえんだ。いきなりエロ本じゃ、イメージ把みにくいんだろうよ」
「中野サンっ」
慌てた松山が中野を黙らせようと目配せをした。佑輔の顔色が見る見る変わる。矢口が気を利かせ、努めて明るく言った。
「いやあ、俺たちのお姫さまが、そんなに人気者だなんて、何だか嬉しいなあ」
逆効果だ。目尻を吊り上げる佑輔を横目でちらちら気にしながら、松山が「バカ者」と矢口にげんこを喰らわせた。「何だよお」と矢口は殴られた頭に手をやった。郁也は思わず噴き出した。
中野は寮生たちと同じように、親許を離れ学院の近くに下宿している。彼らの通う東栄学院は市街から少し離れた丘に位置し、地方から進学してくる生徒は寮に入るか自分で下宿を探すか、いずれにしてもわざわざ麓の街からは通わない。
中野は生粋の芸術家肌で、集団生活には馴染まないため下宿を借りている。だが最近ではほとんど美術室に泊まり込みで、食事にだけ下宿に帰るような生活だ。麓に下りずずっと丘の上で暮らす仲間として、住まないまでも、同じような仲間のいる寮に顔を出すくらいはするのだろう。
郁也の笑顔に毒気を抜かれ、佑輔の顔から険しさが消えた。佑輔は握った拳を開き足許の草をぴんと引っ張った。赤いテントウ虫が弾け飛んだ。
中野はのんびりした口調で続けた。
「大方ワンゲル部の青木や山下辺りだろ。気にすんな。大事に写真を拝むだけで、実際何かしでかそうってんじゃない。お姫サンを傷つけたりはしないから」
中野は郁也にそう言いながら、郁也ではなく佑輔の心煩をなだめていた。郁也には中野の意図が分かった。
何だかんだ言っても、中野も矢口同様、こまめに気を配ってくれる。有り難いことだと郁也は思う。佑輔はまだ面白くなさそうな顔をしているが、さっきの苛立ちは去ったようだ。
何だか色々気になるが、なるようになるしかならない。何があっても、きっと郁也は平気だ。それに彼らもいる。力になってくれる。
「谷口ー」
頭上から郁也を呼ぶ声がした。横田と水上が理科室の窓から手を振っていた。郁也も腕を上げて応え、立ち上がった。
「さてと。ボクもう行くよ」
「おお」
中野もよっこらしょっと御輿を上げた。
郁也が佑輔に「部活終わったらケータイ鳴らすよ」と言うと、佑輔も「うん。俺もこいつらと遊んでる。ゆっくりして来いよ」と答えた。
戸口で郁也が「じゃね」と振り返ると、野郎共は皆笑顔で手を振った。郁也は小さく「ありがと」とつけ足した。その言葉に松山も矢口も、でれっと締まりのない顔になってしまう。
郁也はぱたぱたと階段を駆け上がった。
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