Forsythia suspensa 連翹-4

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Forsythia suspensa 連翹-4

 女っ気がないと、集団ヒステリーじみて来る。だから郁也のようなキレイなコを見ると、半ばふざけながら偶像として祭り上げるのだ。病気だ。男子校という名の病気だ。  それは風邪のように、一時苦しめられてもしばらく我慢していればじき回復する。郁也の影響はウイルスのようなものだ。  ウイルスの仲間はたくさんいて、彼らにとっては別にどれに罹患しても経過は変わらない。アイドルだろうが、バイクだろうが、ロックだろうが、どのみちすぐ治ってしまうのだ。  どんなに熱を上げた振りをしても、結局彼らのうちの誰ひとりとして、本当に郁也の側にずっといたいと思ってくれはしない。郁也の隣に座り、郁也を優しく抱き締めて、その笑顔を大切に思ってくれるひとはいない。  離れたところから郁也に憧れるポーズを楽しむだけの連中に、好かれても嫌われても、郁也にとっては何の意味もなかった。  女子校にも、こうした病気は存在するのだろうか。  郁也は思った。従姉の真志穂(ましほ)が通ったのは女子校だった。彼女はそこで傷ついて、姉と暮らす自分の部屋からほとんど外へ出なくなった。  かつて真志穂の周りでも、こうした病気と、それに伴う軋轢があったのだろうか。  郁也は真志穂に聞いてみたいと思った。だが、まだそれを聞くには早過ぎる。真志穂がようやく上の学校に通い始めるまでに回復したのは、ほんのこの四月のことだ。しばらくは、辛い記憶を呼び起こしたくない。  部活が終わって外へ出ても、空はまだ明るかった。郁也は時計を見た。五時二〇分。通学バスを待つ部員たちから少し離れて、郁也はケータイを取り出した。 (郁。終わったの?) 「うん。今バス待ってるとこ」 (じゃ、着く頃いつものとこにいるよ) 「分かった。じゃ」  頬が弛んで、少し熱い。この顔を他の部員たちに見られたくなくて、郁也は俯いてケータイをのぞき込む振りをした。  誰に好かれても。誰に嫌われても。  関係ない。今の郁也には。  郁也を優しく抱き締めて、郁也の笑顔を嬉しそうに見つめてくれるひとが、この世界でたったひとり、郁也をそうして心底幸せな気持ちにしてくれる、佑輔が側にいてくれるから。  郁也は佑輔のことが好きだった。  郁也の中には淋しい女のコが棲んでいて、彼女は自分が誰にも知られず、愛されないと絶望していた。郁也は彼女を外へ出さなかった。小学生の頃、ひどくいじめられていたからだ。  自分の中身が女のコ寄りであることと、そんな自分が佑輔に憧れ、恋していること。それは誰にも知られてはいけないことだった。誰よりも当の佑輔に。  そんなことが知られれば、きっと軽蔑されて嫌われる。汚いものを見るように顔を背けられて。過去の記憶が蘇る。郁也はそう信じていた。  悲しかった。  どうしてこんな風に生まれついたのだろうと、何度も何度も、繰り返し考えた。  隠し通せば、誰にも知られずに遣り過ごせば、いじめられたりおぞましがられたりはしないことも経験した。  郁也は必死に隠した。東栄学院に入ってから、郁也は自分の中の女のコを、男物の制服の奥に押しこめた。  高等部に上がってからは、毎日着る学ランが嫌で嫌で仕方がなかった。息が出来なかった。  辛かった。  郁也は学祭で、お姫さまの扮装をするのを、誰にも知られないように心待ちにした。  皆の前では故意と大袈裟に嫌がって、自分がそれを楽しみにしているのを隠した。まかり間違って、それじゃ誰か別の奴を、ということにならないように、郁也のお姫さま姿が誰よりキレイだと思われるように、ドレスの裾をふわりと揺らして男子の視線を釘づけにした。  去年、「白雪姫」になった郁也の姿を、「変じゃない」って、「キレイだ」って、言ってくれるひとがいた。  郁也が女のコの姿で街を歩いても、女のコの郁也と並んで歩いても、ちっとも変じゃない、嫌じゃないって、本気で言ってくれるひとがいた。  佑輔だった。  佑輔は、男のコの郁也も女のコの郁也も、「中身はひとつだろ」と言って気にしなかった。郁也は信じられなくて混乱した。怖かったが、自分の気持ちを押し止められなくて、どんどん佑輔のことが好きになった。  怖かった。  佑輔は優しかった。いつも悲しそうな目をした郁也が、幸せそうに笑ったら、どんなに可愛くキレイだろうと言って、郁也を幸せに笑わせようとしてくれた。怖がる郁也を、身体ごと抱き締めてくれて。 「事故」もあったが、今。郁也には佑輔がいる。毎朝顔を合わせて、こうして放課後待ち合わせをすることが出来る。佑輔の笑顔は、郁也を幸せにした。  これ以上、何を望むことがあるだろう。  夕陽が眩しくて、思わず郁也は目を閉じた。  通学バスが駅前に着く。部員たちと別れ、周囲に誰もいなくなったことを確認してから、郁也は駅前の電器屋へ向かう。 「お待たせ」  背の高い佑輔は、離れたところからもすぐ分かる。佑輔を見つけること。誰にも言えないが、これは郁也の特技だ。  佑輔は郁也の声に振り返り、「お疲れ」と小さく言った。嬉しそうに笑い、鼻の頭を掻きながら。 「今日は、時間ある?」  郁也は佑輔にそう聞いた。郁也は今日は部活に出たので、時間が遅い。図書館はもうじき閉まってしまう。 「うん。俺、どうせヒマだもん」 「俺、ヒマだから」これは佑輔の口癖だ。郁也は時計を見た。頬がまた、ぽっと熱くなった。 「ボクんち、来る?」  佑輔が「イヤ」と言わないことを郁也は知っている。 「迷惑じゃない? 最近続いてるけど……」  佑輔が遠慮がちにそう訊いた。郁也は首をぶんぶん振った。 「迷惑なんて。ご飯も食べてってね。おウチにそう電話して。ボクも連絡しとくから」  電器屋を出て、郁也の家へ向かうバス停で、ふたりはそれぞれの家に電話した。ケータイを持ってない方の手と手が触れ合った。時刻表の蔭で小指をこっそり絡ませて、ふたりはそれぞれの親と通話した。 「ただいまあ」  淳子が帰ってきた。 「お帰りなさい」  買い物袋ががさがさと音を立てるのを聞きつけ、郁也は母を迎えに玄関へ出た。靴を脱ぐ淳子から食料の入った袋を受け取り、台所へ運ぶ。 「こんにちは。お邪魔してます」  郁也に続いて居間から顔を出した佑輔は、淳子に行儀良く挨拶した。 「あらあ、佑くん。いらっしゃい。お勉強してたの?」 「はい」 「もう、ほんとに真面目なんだから、あなたたちって。あんまりおべんきょばっかりしてると、馬鹿になるわよ」  歌うようにそう言う母に、郁也は台所から声を上げた。 「お母さん、ボクたち、受験生なんだから」  郁也は苦笑いして淳子の買いものを袋から出した。アスパラは太くて甘そうだ。そしてこの時期にサンマ。解凍ものだ。  豪快な淳子の趣味は料理。作るのも食べるのも大好きな淳子の影響で、郁也も少しはあれこれ出来る。ひとりで家に置いておかれても、自分の面倒は自分で看られる。 「あら、受験勉強みたいな仕組まれたゲームに頭が特化しちゃうと、現実の問題を解決する能力はどんどん失われちゃうのよ。現実に起こることには、答えがひとつなんてこと、あり得ないんだから」  淳子は冷蔵庫に食料をポンポン放り込みながら、「最近多いのよね、そういう問題解決能力の育ってないコって」と続けた。郁也はそんな母の背に、頼もしいような、困ったような目を向けた。  淳子は種苗メーカーの研究所で、所長を務めている。郁也によく似たキレイな顔立ちは実年齢より若く見えるが、女らしい口調で言うことは結構手厳しい。  非常に大雑把な性格で、大勢の部下にそれぞれの持つ能力を最大限に発揮して貰うには自分があれこれしないことだ、という信念に基きお気楽にやっている。  淳子は口ではそう言うが、実際にはかなりの仕事を自らこなしていることを、郁也は去年「事故」で入院したときに知った。  目を離さないでいて欲しいという病院側の要請に応えて、淳子は一週間ばかり郁也の病室をオフィスにした。  怪我はしたが病気ではなかった郁也は、そのとき母に論文の下読みやら、表計算やら、さんざんこき使われた。そのため、母が実際にどんなに大変な仕事をこなしているかを肌で知ることが出来たのだった。 「ごはん出来たら呼んだげるから、それまで二階でお勉強してたら?」 「馬鹿になってしまえー」と呪いの言葉を節をつけて歌い、淳子は「ほら、お茶でも淹れてらっしゃい。ポットそっちだわ」と郁也を居間へ追い遣った。 「いつもいつもお邪魔するばかりか、ご飯までご馳走になって、済みません」  佑輔は神妙に淳子に頭を下げた。 「ああら、いいのよう、そんなこと。こちらこそ、気難しいあのコの相手して貰って。感謝してるわ」 「そんな……」  淳子は手を止め、佑輔に尋ねた。 「それより、いつもここへ来てること、おウチの方はご存じよね。何か仰ってるかしら」  佑輔は頭を掻いた。 「ええ。俺の成績がV字回復なので、大感激してますよ。谷口さんのお蔭だって。彼の名前を出せば何でもフリーパスです」 「それならいいけど……」  淳子はくすくすっと笑った。 「ほら、ウチのコ。親バカだけど、いいコでしょ。気立てはいい、器量もいい、どこへ出しても恥ずかしくないいいコなんだけど、男のコを持つお母さまに、ひと目で気に入って貰えるようなタイプじゃ、ないじゃない」  そう言って淳子は佑輔に悪戯っぽい目を向けた。 「カンケーありませんから。親の思惑と、俺の人生は別物です」  佑輔は背筋を伸ばして淳子を見た。 「俺は自分の生き方は、自分で決めますから」  佑輔はきっぱりと宣言した。  淳子はうんうんと笑顔で頷いた。 「お茶、入ったよ」  郁也が盆に三つカップを載せて入ってきた。 「あら、いい香り。リモネン臭ね」 「うん。こないだのみかんのお茶。はい、お母さんの分」  郁也が食卓に、湯気の立つ薄桃色のカップを置いた。淳子はうふふっと微笑んだ。 「ありがと」 「じゃ、行こっか」  郁也は佑輔を見上げてそう言い、先に立って台所を出た。佑輔は淳子に軽く会釈をして郁也に続いた。淳子はカップを口許に当てたまま、それに小さく手を振った。 「来週の模試、申し込んだ?」 「ああ。一応な」 「また土日潰れちゃうね」 「仕方ないさ。受験生だもの」  階段を上り切ると、佑輔は素早く扉を開き、盆を持つ郁也のために押さえて待った。郁也の部屋は、落ち着いたベージュの絨毯に茶系のカーテン。いつも掃除が行き届いている。 「それに俺、前ほどああいうの、嫌じゃないんだ」 「へえっ。どうして」 「順位がさ、こう、とんとんと上がって行くだろ。何だか楽しくって」  佑輔が盆を受け取ろうと手を伸ばす。郁也は素直に手渡した。 「いい香りでしょ」  佑輔は「うん」と答えるが、カップを載せたまま盆を机に降ろす。 「飲まないの」 「後でな」  佑輔は自由になった郁也の身体を抱きすくめた。 「こっちが先」 「冷めちゃうよ」  佑輔はもう返事をしない。  大人のキスは、いつも郁也に我を忘れさせる。佑輔の腕の中で、正気を保っていられなくなる。 「……佑輔クン」  柑橘の軽い刺激を含んだ甘い香りが、部屋に充ちた。
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