Forsythia suspensa 連翹-5

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Forsythia suspensa 連翹-5

「お早う」 「……おはよ」  郁也が教室に入っていくと、佑輔と一瞬目が合った。校内でふたりが交わす会話の、ほとんど全てがこれで終わる。朝の優しい佑輔の笑みを目に灼きつけて、郁也は今日も一日耐えることが出来る。  郁也が自席に鞄を降ろすと、水上が駆け寄ってきた。 「お早う、谷口君。昨日はごめん」 「ううん。気にしてないよ」  須藤とかいうのは確かに変な奴だったが、水上に(とが)はない。郁也は水上に笑顔を向けた。郁也の笑顔に、水上はほっとした様子を見せた。  横田もやって来た。 「おう、水上。考えといてくれたか、学祭の企画の件」 「……あ」  水上の顔から表情が消えた。「あ、落ちた」と郁也は指を差した。 「はいはい、再起動。早く」  横田がせかす。 「いいか? いいな。よし。物理部と天文部が相互乗り入れすることを考えると、やっぱ妥当なのは『占い』だよな。西洋占星術。これなら谷口の言う通り客も入る」 「横田君の大好きな、女子中学生とかね」 「あ、『彼女』に言ってやろう。メールしてやろ」  横田は去年の夏休み以来、一三〇キロ離れた都会に住む年上の女性とつき合っている。郁也たち数人の友人たちは、今年の正月、横田を訪ねてきたその女性と会った。横田が自慢するケータイの待ち受け画面より活発な印象の、生き生きした笑顔のひとだった。 「馬鹿言え。それでだ」  横田はこほんと咳払いした。横田は今年最高学年になって、天文部の部長を引き受けさせられていた。渋々だった筈が、いざやって見るとノリがいい。 「問題は、学祭に間に合うかどうかだ。水上の速度に不安はないが、基になる占星術のデータを、どっかから引っ張ってこなきゃならない。これをどう探すかが厄介だ」  不意に耳障りな高い声が割り込んだ。 「ああ。それなら僕がいいネタ持ってます。著作権的にもオーケーで、すぐ使える便利なヤツ」 「うわわ。ハルくん」  水上がその声に驚いて二、三歩飛び退いた。須藤が不敵な顔で横田の後ろから首を伸ばしていた。性懲りなくまた乗り込んできたと見える。 「何だお前。何しに来た」  横田のしかめ面に悪びれもせず、須藤は「お早っす」と片手を上げた。 「トシくん、部活の展示? プログラム書くんなら、僕手伝うよ」 「ハルくんどっから湧いて出たの。それより、ハルくん、部活どこに入ったの。ウチの学院、部活必修でしょ」 「えー。……一応、ワンダーフォーゲル部。寮の先輩に誘われて。でも、全然僕の趣味じゃないからさ、幽霊だよ、とっくに」 「ワンゲル」と聞いた瞬間、横田が爆笑した。郁也もついつい笑ってしまった。この、ピアスをぶら下げたちゃらちゃらした須藤が、男臭いことでは右に出るところのない、選りにも選ってワンダーフォーゲル部とは。これが笑わずにおられようか。 「……確かに、ワンゲルの連中は、君をスカウトしたがったろうね。彼らの好みだもん、君の外見」  郁也はいささか意地悪い気分になり、当てこするようにそう言った。昨日の意趣返しでもないが、須藤が郁也に投げつけた言葉は、郁也を見習いたいとしおらしいことを言っているようで、その実お姫さまに扮した郁也を嘲笑う、とげとげしたものを含んでいた。  嫌な処を突いて郁也を挑発するような、粘着質な嘲りだった。そうしたことに敏感な郁也がそれに気づかない訳はなかった。  横田が苦しげに腹をよじりつつ言った。 「手伝いなんか要らねえよ。水上と、それからこの谷口がいれば充分だ。二年にも腕の立つ奴はいるしな。お前なんかの手は借りねえよ」 「でも、占いのベースになるデータは、あったらラクなんじゃないすか」  須藤が生意気に口を尖らせた。「ラク」という言葉に、横田は弱い。それは郁也も水上も同じだ。この場にいない天文部員、物理部員も全員同じだろう。 「それはそうだけど……」 「大丈夫。恩に着せたりしませんって。僕はただ、谷口さんとお友達になりたいだけなんです」 「ハルくん?」  水上が目をパチクリさせた。 「お友達」だなどと、よく言える。どんな魂胆があるのだろう。郁也は訝しんだ。  無言の郁也を、須藤は尚もじっと見た。この挑戦的な目は、何故こうもぎらぎらと郁也を射るのか。郁也の何を、敵視しているのか。郁也は彼に、何をしたこともない。その存在すら、昨日まで知らなかったのに。 「何だ何だ。またお前か」  騒ぎを聞きつけ、松山がやって来た。 「もうこいつを煩わせんな。さっさと出てけ」  松山が小柄な須藤の襟首を把んで、廊下へ摘み出そうとする。 「うるさい、離せ。僕はただ……」 「うるさいのはお前の方だよ」  加勢に来た矢口もそう言って須藤のばたつかせる手足を封じた。体格の違う上級生ふたりがかりで廊下へ押し出されながら、須藤は、 「また来ますからね、谷口さん」 と郁也を振り返った。須藤の鼻先で、矢口がぴしゃりと戸を閉めた。松山は両手をパンパンと払って、「もう来んな」と顔をしかめた。 「何な訳?」  横田が親指で後ろを指差して、水上に尋ねた。 「分かんないよ、僕にもさっぱり。あんなコじゃなかったんだよ」  水上は何とも情けない声を出した。横田は首をひねった。 「新手のストーカーかな」 「堂々と宣戦布告するストーカー? それってストーカーの定義と、矛盾してない?」  淡々とそう返す郁也に、水上は恐る恐る言った。 「『宣戦布告』? あれって、やっぱりそうなのかい」  いつもマイペースな水上がおろおろしている。普段ひとの言葉の深読みなどしない奴だが、今度ばかりは気になるらしい。 「まあ、そうだろうな」  松山が戻ってきた。郁也は後ろを振り返った。教室の向こうで、佑輔が肩を怒らせているのが目に入る。 (大丈夫。大丈夫だから。ね)  郁也はそちらへ笑って見せた。他の誰にも気づかれないように一瞬だけ。 「何のために、誰と戦おうっていうんだよ」  横田が言った。 「『誰と』ってのは、この場合明らかだろ」  松山は郁也をちらっと見た。 「じゃ、何のために」  水上が弱々しい声を出す。 「……うーん」  一堂腕を組んで考え込む。  ひとの気持ちを汲み取るのに長けた矢口が、しばらくして口を開いた。 「谷口を、ライバルと思ってんじゃないかな。『いい気にならないことね。今年の女王はアタシよっ』って感じで」 「いやあ……、それはどうかな」  横田が胸灼けのげっぷをこらえるような顔を矢口に向ける。  黙って考え込んでいた松山が、「意外と、アリかもよ」と呟いた。
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