どれも同じに見える

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どれも同じに見える

「どうも最近歳を取ったなと思うのはね」  隣の席で、田所がため息をついた。快速は無人駅を二つ飛ばして、四月から無人になることが決まっている終点へと差しかかろうとしていた。 「若いアーティストの音楽なんか追ってても、どうもピンと来ないんだ。それどころかどれも同じに聞こえてしまうんだよ」 「ははは。そりゃ本当に歳を取ったんだ」 「それだけじゃない。物忘れも酷くなったし、アイドルグループなんか見ても、みんな同じ顔に見えてしまう……昔は誕生日までしっかり覚えてたのにな」 「仕方ないさ。俺だって同じようなもんだ。いつまでも若いままの感受性じゃいられないよ」  俺は苦笑しながら、扉の上の『英会話教室』の広告をぼんやり見上げた。  今をときめくトップアイドルが白い歯を浮かべているものの、果たしてさっぱり名前が出て来なかった。ガラス窓の中に、疲れた顔をした見知らぬ中年男性が写っている。それが自分だと気づくまでに、しばらくかかった。  ……少し呑み過ぎただろうか。  夜道をふらつきながら、俺は二重にも三重にも見える通行人を見つめていた。田所の言う話も、あながち笑い話ではないかもしれない。何故なら、今この瞬間にも、通行人の顔すら俺にはさっぱり見分けがつかないのだ。 どれも同じに見える。 正確に言うと、田所と同じ顔だ。やはり酔っているのだろう。千鳥足で家に辿り着くと、田所の顔をした妻と、3歳になる娘が出迎えてくれた。これには俺も参った。 「遅くなるなら遅くなるって言ってくれれば良かったのに」 「パパ、パパ」  妻と娘が、全く区別がつかないそっくり同じな声で俺の鼓膜を震わせた。もっともこれは血の繋がった家族なのだから当然なのかもしれない。しかし俺に耳には、どうも電車の隣の席で聴いた、田所のダミ声に聞こえるのだった。風呂を温め直す間、TVを付けると、田所の顔をしたミニスカートの女が、にこやかに明日の天気を予報しているところだった。  歳を取ると、やはり誰も彼も同じに見えてしまうのだろうか。  異変は次の日も続いた。  二日酔いでガンガンと痛む頭に、食卓から田所たちの笑い声が飛んでくる。すれ違う人々も、通勤電車の中の人々も、皆田所の髭面だ。ふと思い立って携帯電話の電話帳を覗き込むと、名前が全て田所に変わっていた。漫画雑誌をめくっても、キャラクターが全員同じ顔にしか見えないし、スポーツ紙は一面から最後までびっしり田所特集だ。流行歌はランキング1位から100位まで全て田所で埋め尽くされ、曲を聴いても、申し訳ないが田所のカラオケと同レベルで違いが分からなかった。  果たしてこれは俺の感受性の問題なんだろうか?   田所社長と田所部長の長ったらしい挨拶を聴きながら、俺はひとり不安に駆られた。なんせ同じ人物が二回喋っているんだから、挨拶の内容も同じにしか聴こえない。ゲシュタルト崩壊の田所版みたいな一日を過ごしながら、俺は、いつ自分の顔が田所に変わってしまうんだろう、と何度もトイレに駆け込んで鏡を覗き込んだ。  やがて三日後には関東全域、一週間後には日本全土が田所で埋め尽くされ、地球全ての人類が田所になる日もそう遠くはなかった。 全てが田所なのだ。少なくとも俺にはそう見える、そう聴こえる。 全ての歌は田所の歌になり、全ての書物、全ての映像作品その他諸々の美術芸術は田所の名の下に輝きを放った。  あるいは俺だけなのかもしれない。  おかしくなったのは俺の方で、他の人には以前と変わらない景色が見えているのかもしれない。そう思った方がむしろ気が楽だった。  しかし現実は、田所になった全人類は、皆同じ口調で喋り、同じ時に欠伸し、同じ箇所を爪で掻きむしった。俺は田所で埋め尽くされた満員電車の中で、いつぞやの『英会話教室』の広告を途方に暮れて見上げていた。広告の中の女は、見事に髭面で、何処からどう見ても田所だった。  しかしこうなってくると多々問題が生じる。本当は多々どころでは済まないのだが、そんなこと言い出したら世界は問題だらけだ。世界中、同じ田所といっても年齢も性別も十人十色、子供の田所もいれば年寄りの田所もいる。 男の田所も、女の田所も、南半球には南半球の田所がいるし、北極には北極の田所グマが住んでいる。田所がいないところは世界にひとつもないが、同じ田所は世界にひとりとしていない。全部同じだからこそ違いが目立ってくると言う、実に不可思議な感覚に俺は襲われていた。  俺はと言うと、なぜか俺は俺のままだった。  喜んで良いのかどうか分からないが、これが俺の悩みの種だった。田所は会社の同僚である。例えば世界の何処かで、田所に子供が生まれた時、あるいは田所が亡くなった時。何もせずにいるわけにもいかない。俺の貯金はあっという間に田所たちの出産祝いで飛んで消え去り、そして一日中お悔やみの言葉を言い続ける日々が始まった。人類皆兄弟になってしまったばっかりに、いらぬ慣習まで世界規模になってしまった。  しかし人生、送るものがあればもらうものがあり、世の中ギブアンドテイクで、俺に何かあった時には世界中の田所からリアクションがあるのだった。その日、俺は誕生日だった。世界中の田所が、俺のためにささやかなプレゼントの酒を用意してくれ、大量に運び込まれた酒は入りきれずとうとう家が破裂し、その下敷きになって、俺は死んだのだった。死に際、聴こえてきた賛美歌はダミ声で、天使はやはり髭面であった。全く、歳は取りたくないものである。
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