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起死回生の軌跡
家光の男色狂い、お万の夜伽拒否。春日局の気苦労は絶えなかった。そんなある日、浅草観音を参詣している途中、ふと籠の中から一人の少女を見つけて春日局(お福)は、目を疑った。その少女の容姿や物腰がお万にそっくりだったからだ。
「うん、お万?いやいや、そんなはずはない。これは、神のお導きに違いない。お万に似ているのであれば、きっと家光様も気に入るに違いない」
その少女の容姿や物腰がお万にそっくりだった。早速、春日局は、大奥に召し寄せようと、直ぐに供の者に少女の素性を調べさせた。少女の名はお蘭、十九歳。調べてみると少々問題があった。お蘭は、死罪人の娘だったからだ。お蘭の父親は一色惣兵衛といって下総古河の百姓だったが、過って禁鳥の鶴を撃ってしまっていた。鶴を撃てば死罪になる大罪だった。
「どうする?撃ってしまったものは仕方がない。でも、どうする?埋めて隠せば表沙汰にならずに済むか。そうしよう」
惣兵衛は、動揺しながら穴を掘りいざ埋めようとしたとき、ふと、欲が出た。禁鳥になる程の鳥、これは金になるのではないか、と。捨てるのも惜しく、日本橋の問屋に相談すると数寄者はいるもので、思わぬ高値で売れた。貧しい生活をしていれば、違法と知りながらも大金の誘惑には勝てなかった。ばれなければ罪に問われないと知りつつも自らの欲望に勝てず、露呈の足掛かりを残してしまう。その後も、ちょくちょく密猟をして江戸で売っていたが、ばれずに済んでいた。それが珍しい出来事と人の口には蓋が出来ず、遂には露見し、御用となり死罪となった。
惣兵衛の家族は「あがりもの」といって、一生奉公の奴隷になり、古河の領主永井信濃守尚政に預けられた。家族は妻と娘二人、末の男の子一人で、娘の姉の方がお蘭だった。永井家で妻は奥女中になり、二人の娘も女中、男の子は茶坊主にされたが、
故あって奴隷の身分を解放されると、妻は神田鎌倉河岸の古着屋七沢作左衛門と再婚。お蘭と妹は連子となって作左衛門のもとに身を寄せるが、利用価値のない男の子の方の消息は分からず仕舞い。
春日局は、お蘭の身上話を聞いて驚いたが、世継ぎの問題を解消できる千載一遇の機会と捉え、ありとあらゆる職権を行使して、大奥へ引き取り部屋子とし、諸事指南を受けさせた。
春日局の部屋子であっても他の者から見れば、下位の育ちの女。
「お蘭の田舎は良きところと聞く、どうじゃ、在所の歌って見せぬか」
お蘭を田舎者と見くびる朋輩から、在所の麦搗唄を無理矢理唄わされていた。最初は恥ずかしくもじもじ歌っていたお蘭は、歌っていくうちに楽しかった幼かった頃を思い出し、陽気になり身振り手振りも添えるようになっていた。
所用で訪れた家光はその様子の騒がしさに魅かれ、足を向けた。そこには、無邪気に歌い踊るお蘭がいた。その様子に心を惹かれた家光は、早速、その夜から伽に召し抱える。すると、お蘭は間もなく懐妊すると、寛永十八年(1641年)八月三日に男の子を授かった。それが家光待望の長男であり、後の四代将軍家綱だ。
片田舎の百姓で死罪人の娘が、数奇な運命で将軍世子の生母お楽の方になった。そうなると親兄弟も放っておくわけにはいかない。田舎から弟を捜し出し、母方の姓増山を名乗らせ、正保四年(1647年)に新知一万石を与え、家綱の教育係にも就任、従五位下に任官して、増山弾正少弼正利という仰々しい名前になった。万治二年(1659年)には三河西尾二万石に移封され、常陸下館藩二万石、伊勢長島藩二万石と移り、増山家は幕末まで続いた。
家光に関わる女性は、お玉の玉の輿、お蘭の起死回生の転機と一筋縄では語れない経緯が、家光の将軍への経緯のように波乱が付き纏うのは偶然なのだろうか。
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