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あたしが女子トイレの中に入ると、一個奥の洋式トイレががらんと空いていて、そこから足が飛び出していた。上履きには梶原千鶴と書いてある。
せき込む声にあたしは早歩きで千鶴の元へ向かった。千鶴は床に座り込んで、トイレに顔を突っ込むようにしてゲホゲホえずいている。あたしは千鶴の名前を呼ぶと、背中を撫でてあげた。千鶴は吐く仕草を何度かして胃液を吐き出した。顔色は真っ青で、体は震えている。あたしは急いで教室へ戻ってカバンからスポーツドリンクを持ってくると、ほぼ倒れているような千鶴を支えて飲ませてあげた。でもそれすら気持ち悪いようで、千鶴はまた吐き戻してしまう。
「千鶴、大丈夫? 辛いだろうけど、これ飲んで。吐きやすくなるから」
千鶴はスポーツドリンクを飲んでは吐くを繰り返す。あたしも飲んでたから、スポーツドリンクはすぐ空っぽになった。
「どうしたの? また熱中症?」
千鶴は首を振る。あたしは空のペットボトルに水を入れにいって、千鶴に渡した。千鶴は水をぐびぐびぐびと飲む。水が口の端から零れて、ワイシャツを汚す。トイレの壁に背中を預けて、ようやく千鶴は一心地ついたようだった。
「上総さん……」
細い声で、千鶴があたしの名を呼ぶ。ぼんやりとした瞳はキラキラと光って、揺れて、ぼろっとまた涙を零した。泣き虫な千鶴があたしに助けを求めていると思って、あたしは目の前に座って、千鶴の口元や頬なんかをハンカチで拭いてあげた。
「千鶴。どうしたの? 大丈夫? まだ保健室で寝てる? 帰る?」
「チヅ、帰りたくない……」
いやいやと首を振り、千鶴はあたしに手を伸ばす。あたしはその手を受け入れて、千鶴を抱きしめた。ガクガクと震える体は、何かに恐怖しているようだ。あたしは千鶴の背中をさすってあげた。何度も何度も。
「こんな世界、全部、全部、全部いらない……チヅ、もうなんにもいらない」
「千鶴、どうしたの? 大丈夫?」
「どうして? どうして、どうして?」
千鶴は「どうして?」と繰り返すだけだ。あたしは千鶴をぎゅっと抱きしめた。千鶴もあたしの背中に手を回す。だけど、震える手の平はあたしの背中で結ばれず、ガクガクと宙を舞うだけだった。
「どうしたの? 千鶴、何かあったの?」
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