ねえ、千鶴、逃げようよ

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 学校へは行く気がしなかったのだけども、あたしの心がまだ落ち着かないうちに、千鶴のお葬式が始まった。あの父親はどうしたのだろうか。担任教師は警察の仕事だと言ったけれども、果たして捕まえることはできるのだろうか。  千鶴のお葬式は土曜日、近所のお寺で行われることになって、あたしたちクラスメイトも出席することになったと、連絡網で聞き、あたしは土曜日なのに制服をきっちり着て、千鶴の葬式に出ることとなった。お寺の中で先生が点呼をとる。あたしたちは名前順に一列に並ぶ。あたしの前、本来ならば千鶴がいるはずの場所は飛ばされて、あたしは涙が出そうになったけど、堪えた。千鶴と最後のお別れなのだ。まだ、泣くには早すぎるように思えた。  菊ではなく百合の花が添えられた祭壇には、千鶴がおかしな笑顔で笑った写真が飾られている。いつもの泣き笑いの笑顔ではない。どこか媚びていて、恐れているような、不思議な笑顔だ。でも、美少女であり、自殺という悲劇の死に見合うような、表面だけは希望と、期待に満ち溢れた顔をしている。これが千鶴が父親に見せていた笑顔なんだろうと思うと、余計悲壮感が増して見えた。  その日は霧雨だったので、お寺の中に入り切らなかった子たちは傘をさして、それぞれ並んだ。あたしと貞晴は、お寺の中で静かに焼香を待っていたんだけど、その中で浮いていた。どうやら、千鶴の最後を見た、そばにいた人間ということらしい。ひそひそとみんなで話して指さしていたりしている。あたしは俯いて唇を噛みしめながら、「友達であり、最後を見た証人」という立場に耐えていた。密やかな囁きも、焼香が近くなるたびに途絶えていく。  前には知らない大人がずらりと並んでいた。多分父親の仕事の関係者なのだろう。みんなどこか哀れそうな、同情心をもって軽く目じりを濡らしながら進んでいる。前のクラスメイトが焼香をして、あたしもそれに続いて、残された遺族である、千鶴の父親の前に立った。すぐ後ろの貞晴も、そこで止まった。ああ、やはりいるのだ。ここに、いるのだ。  ひそひそという声が続いている。大人たちも子供の噂を聞き知っているのか、あたしたちと父親という組み合わせを見つめていた。そこにただ立っているあたしたちに「ちょっと」と実里が声をかけたけど、諦めたようにどんどん通り過ぎていく。千鶴の父親はあられもなくだらだらと涙を零している。一度家にお邪魔した実里やあたしや貞晴が誰かももうわからないようだ。あたしたちのところだけ空間を切り取ったように、しぃんとしている。 「梶原さんのお父さん」  貞晴がそう声をかけた。千鶴の父親は涙を拭き、あたしたちを見る。「あぁ」と声をあげると、鼻水まで垂らしながら、眉を寄せて、眩しそうに、娘のクラスメイトに頭を下げた。
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