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ニアの私を呼ぶ声で目が覚める。さっきの私みたく必死に名を呼ぶニア。ごめんね、そんな顔をさせてしまって。
「ニア」
うんと優しい声でニアを呼ぶ。
「師匠」
「ふふっ、その呼び方、懐かしいね。覚えてたんだ」
「嫌だ、置いていかないで」
もう既にぐちゃぐちゃになっていたニアの顔を優しく拭って涙を払う。
「連れてなんかいけないよ」
「じゃあ師匠が死んだ後にわたしも死ぬ。そしたら、そんなこと、師匠は許せないはず」
「……よく分かってるじゃないか。ニア、いい子だから、ね?頼むから一人で逝かせておくれ。ニアはこれから一人で歩いていくんだ。私の分までとは言わない、ニアの分だけをニアのペースで歩けばいい」
「嫌だ。絶対に、嫌」
ああ、せっかく拭ったのにまた濡れてしまうよ、そんなに泣いたら。そう言ってあげたいのにもう声を出すことすら億劫で。
「師匠が私を拾ったのが気まぐれなら、始めは師匠が選んだんだったら、最後はわたしに選ばせて。最後まで着いていかせて。ねえ、師匠」
その名で呼ばれるのがくすぐったくて、心地よくて、今にも寝てしまいそうだった。本当にここで終わりなんだ、そう思うとニアのことだけがぽっかりと浮かび上がり、気がかりになる。ああ、甘いなぁ私は。
「……しょうがないなぁ。いいよ、ニア。私は善人じゃないし大人な道徳は持ち合わせていない。そしてニアに甘い。好きなように選べばいいさ。どうしたい?ニアは」
最後まで堰き止めておいた言葉。「一緒に行こう」そんな言葉の翻訳をニアに。
「わたしも連れてって、師匠」
「そうしてあげたいけど、生憎そう出来るほどの魔力が残っていないんだ。」
静かな砂漠の上で以前栄えていた街の面影を見る。行き交う人々、そこでニアと手を繋ぎウィンドウショッピングでもして、アイスを買ってやって、急な雨が降って傘を一本買う。そんな日々がこの砂の上ではサラサラと消えていく。
「でも、眠らせてあげることならできる」
「ずっと?」
「ああ、ずっと。ほぼ死と同じ。目覚めることは永遠に無いんだ。どこか見つからないような場所で眠り続ければ、いつか私と同じように死ねるだろう。獣や他の人に見つからない場所で二人並んで、ね」
今日はなんでこんなに静かなのだろう。風でもあれば、この気まずいノイズすらない無音をどうにかできたのに。私とニアの声だけが、やけにきちんと聞こえて泣いてしまいそうだよ。
「じゃあそうする」
「もう二度と起きれないんだよ」
「それでいい」
最後の力を振り絞ってさっき見つけたスクラップ置き場まで歩く。これがニアとの最後の歩みになるのだろう。できるだけ、忘れないように一歩一歩を踏みしめた。ニアに半分寄りかかったまま辿り着いたスクラップ置き場の影はさっきよりも大きくなって、私達を隠すように静かに黒く伸びていた。
「ここでいい?」
「ああ」
「わたしはどうしたらいいの?」
「何もしなくていい。ただ、隣にいてくれたらいいよ」
優しく横たわらせてくれたニアが隣に並ぶようにして寝転がる。太陽の温みをめいっぱいに抱きかかえた砂の上は温かく、死を歓迎していた。
「見てもいいけれど、恥ずかしいから笑わないでおくれよ」
「うん、笑わないよ」
残っていた魔力を全て使うために、自分の見た目を若く保っていた魔法を解除した。そしてそれと共にニアに永遠の眠りを呼ぶ魔法をかけていく。
「ふふっ」
「笑わないって言ったじゃないか」
「だって、おばあちゃんの田中が不思議なんだもん」
「また田中って言ったな。さっきまで師匠師匠って言ってたくせに」
「……なんか、恥ずかしくて」
「それはまあ、同感だ。いいよ、最後までニアらしく田中って呼べばいいさ」
「田中」
「なんだい?」
魔法が効いてきたのか虚ろになり始めた瞳のまま、私の手を握りしめてニアは話す。
「わたし、田中に拾われて良かった。知らないこともたくさん知れたし、色んなことができた。田中に出会えて本当に良かった。だからね、あのね──」
最後の言葉を聞いてしまえばこの世に未練が残ってしまいそうで、それが怖くて魔法を強めた。こんな事がもし起きたらと、その為にこうやってニアに使えてしまう余力を残しておいた自分が憎い。魔力さえ底をついていれば、そしたらニアを道づれにすることなんて無かったはずなのに。
「──田中、あり、がと。またどっかで見つけたら拾ってね」
眠りに落ちたニアの手からは力が抜け、それはまるで死んだかのようだった。
朦朧とする意識の中、もう残っていない力を振り絞って振り絞って、砂の花をニアの周りに咲かす。せめて、せめての弔いをさせておくれ、ニア。
「ああ、もう私も時間だ」
花に囲まれたニアの隣でニアを抱きかかえるように、どんなものの全てから守れるようにその小さな身体を私で隠して。
「おやすみ、ニア。そして、世界」
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