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「うーん、そうだな……。あ、じゃあ。ニア、そこら辺から紐みたいなものを見つけてこれる?このくらいのでいいんだけど」
手を広げ、ある程度の長さを指し示す私を見てニアはたたたっと駆け足でこの場を離れる。まるで反抗期を落としていったかのようにその足取りは軽かった。
「田中!あった、紐」
「うん。いいね。丁度いい長さだ」
「それ、どうするの?」
ニアが紐を探していた間にその辺のガラクタの中から拾っておいた同じような大きさの空き缶二つを背に隠し、興味津々なニアを宥める。
「ちょっと待ってて、すぐだから」
作業を隠すようにしゃがみこみ背を丸める私の後ろから、ニアはキョロキョロと顔を出して完成を待つ。
「田中、なにしてんの」
「まあ待ちなって」
そわそわと私の手元を気にするニアはとうとう私の前に回り込んで作業を覗き込んでしまう。しまった、やっていることがバレてしまう、と思ったのも一瞬のこと、ニアはこんなもの知っているわけがないのだから、作業を見たところで何を作っているのか分かるわけもないのだと、ならば堂々と作業を続けるまでだ。と、そう開き直って手元を隠すことを諦め、まるで手品のように堂々と披露しながら作業を進めていった。とは言っても、缶に穴を開け、ニアが拾ってきた糸を通す。ただ、これだけ。至極単純な作業。
「ほら、できたよ」
ぽん、とニアの小さな手に置いた無骨な糸電話。これが電話なのだとニアはいつ気づくだろうか。まじまじと見つめるニアは口を尖らせて必死に観察する。
「……わかんない。こんなの知らないもん」
「だろうね。これは糸電話って言って、厳密には電話とは違うんだけど、少し離れたところにいる人と話すことができるんだ」
「電話とは違うの?」
「うん。そもそもの仕組みが違うんだよ。電話は電気が必要だけどこれにはそれが必要ない。音が振動として糸を伝うことでこの缶を持った反対側の相手に自分の声が届くんだ」
ニアにも分かるよう噛み砕いて説明をするが、その行為自体にそこまで苦労はない。ニアの柔軟性と飲み込みの速さは拾った頃からのものだった。そしてそれは今も成長を遂げている。そのうち対等に話せる時が来るだろうから、その時が楽しみだ。
「……じゃあ糸が繋がってないとだめってこと?電話ってやつはもっと遠くの人とも話せたの?」
「そう。糸が繋がってないとダメだし、糸が長くなればなるほど伝わる音も小さくなるんだ」
けど、と続けようとする私の声を遮るニアの好奇心。
「じゃあ電話は?電話は遠くても小さくならないの?」
とても勘のいい疑問の持ち方だと思った。二つ並べられた事象に対して、一つのことを知らされた時に残りのもう一つと比べることができるのはいい事だ。そこでお利口に納得したまま、疑問を持たずに終わってしまうよりもずっといい。近頃はそんなニアの的確な質問にきちんと答えることが私の責務となりつつあった。
「音は小さくならないが、遅れるんだ。技術が進歩するにつれてその遅延も微々たるものになっていったけどね」
ふうん、そう返事をしたニアの目は話の途中からずっと手の上の糸電話に釘付けだった。話はきちんと聞いていても、手の上の謎のものが気になるのだろう。
「それ、やってみる?」
「……うん」
糸の分だけ離れた私たちは向かい合って静かになる。ふたりの間に風は吹かずに、じりじりと照りつける太陽が私達の影を短くしていく。
「ニア、聞こえる?」
私の小さな問いかけに、少し遠くで驚いた静かな顔が返ってくる。数秒置いた後、「聞こえる!」と大きな声で返事をするニア。そんなに大きな声で返事をしてしまったら糸も何も関係なくこちらまで伝わってしまうのだけど、それを教えるのは今じゃなくていい。楽しそうに缶に耳を当て口を当てるニアの笑顔と、そんなニアから伝わる言葉だけを聞き取るのが、今の最重要事項だった。
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