フットマッサージ幽霊

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 彼女は引っ越しが一段落して、安堵して眠っていた私の前にいきなり現れたのだ。 「実際に出るって噂もあるんですけど」  そう不動産屋が申し訳なさそうに、小声で私に告げてきた  しかし、この部屋が事故物件であったとしても、それがどうでもよくなるくらいに私にとっての理想の部屋で、かつ、切羽詰まってもいた。  同棲していた男に浮気をされて、キレた私が「出ていく!」と飛び出したのがことのはじまり。行くあてもなく、最初は友だちの家にいそうろうさせてもらい、さすがにいつまでもいるわけにいかないと新しく住む部屋を探した。  同棲していた男の影を引きずりたくなかったので、きれいな部屋で新しい家具、家電に囲まれ住みたかった。男には「慰謝料」名目にいくばくかの金を要求し、口座に振り込ませておいた。金は天下のまわりもの。二人で使っていた家具や家電は見ればやつを思い出すが、金は心が痛まず、むしろ潤う。  認めたくなかったが、結婚を前提にした同棲でもあったので、自分の見る目のなさと、ダメな男と暮らした日々にただ徒労感だけが残った。しかしそれは過去のことだ。これからはひとりでも生きられるよう、そしてより強くなれるように、と自分を鼓舞した。そのためにも男と暮らした部屋よりはいい部屋を、そして条件にこだわりぬいた部屋をと、私は仕事の休憩時間も、ずっと携帯で探していたのだ。  角部屋で2LDK、南向き、IH、バス、トイレ別。築浅、ベランダが広く、wi-fiつきで、駅から徒歩五分以内。  そんな物件、あるわけないと思っていたところ、見つかったのだ。そう、事故物件で。 「事故物件でもきれいじゃないですか。それに家賃も安くなるんでしょ?」  私は不動産営業に迫った。  私は百均の店長を任されている、二十代後半、もうすぐ三十に手が届く、いわゆるアラサー。へらへらしている若い営業よりは、人生経験が悪い意味で豊かだ。  百均は、ホームセンターと同じくらいに、変な客がくる。アルバイトは顔を覚える前に辞めていくし、パートのおばはんは百戦錬磨。目が死んでいる客を「そこになければないですね」でやり過ごすことを覚える前、入社してから毎日、帰宅してはつらくて泣いていた。  ところが人間はある瞬間から鋼のように強くなる。私の場合は、クレーマーが観葉植物の棚をなぎ倒したときだった。気がつくと、クレーマーを押さえ付けていて、店舗が入っているショッピングモールの警備員が駆けつけている。店長、やりすぎ、やりすぎの声に我に返ると、クレーマーを押さえつけ、殴りかかろうとしていた私をショッピングモールの警備員が必死に制止していた。その時から私は自分の感情を素直に表に出す性格に変貌したようだ。  その日から一週間は腕があがらず、首にもクレーマーにつけられたあざが残った。あのあたりからたちっぱなしで足がむくむのも、仮面のように笑顔がはりつくのもどうってことはなくなった。  男に言わせるとそういうところがかわいくなかったらしい。しらんがな。 「賃貸は事故物件を一度でも住むと、その後から住む住人には事故物件だという告知義務がなくなるって聞いたんですよ。ちょうど渡りに船じゃないですか」 私が心のない笑みを浮かべると、不動産営業が顔面をこわばらせた。  死にたいと思ったことは、人生に何度かあったと思う。でも、実際に死んでしまうとはなあ。私は値切りに値切った事故物件に引っ越しをした日、段ボールが積み重なった部屋でビールのプルタブを開けた。  どうやらこの部屋の前住人は女性で、縊死したらしい。オーナーがちらっと漏らしたのを聞き逃さなかった。  私は前住人をかわいそうだとは思わないようにした。その前住人と私とはまったく関係がなかったし、祖母から「死んだ人や動物をかわいそうと思っちゃいけないよ。憑いてくるからね」と言われていたからだ。それが迷信だとしても、確かに生きている人間でも同情すると、依存先だと飛びつく人間はいる。  奮発して買ったベッドに私は寝転ぶ。今日もたちっぱなしで足はぱんぱんだ。湿布を貼って、血流改善のスパッツを履き、だらだらとビールを飲みながら、私はねむりに落ちた。  健やかな眠りからさめたのはその夜のことだった。最初、足がもぞもぞとした。え? 何かいる? 私はビールを飲み過ぎたせいで、夢を見ているのだと感じていた。違う、何かがあしもとにいる。足をつかまれている。体を動かそうとしても動かない。金縛りってやつ? え、キモ、やべ、そうだ、ここは「出る」んだった! 髪の長い女性が私に覆い被さっている。  ちゃんとした物件を選んでおけばよかった。後悔した。脳内にホラー映画の画像が駆け巡る。って、昔、笑いながら見た「リング」の貞子だけだけど。  貞子、もう、ブラウン管の時代じゃないんだ、テレビは液晶の時代なんだ、あんたが出てきたら液晶テレビごと前につんのめるぞ! と、私は叫びかけたが、不意に違和感を抱く。  この幽霊、私の足を揉んでいる。時々、疲れ果てては通っているフットマッサージの要領そっくりだった。足裏の土踏まずを強く押し、足の指の間に手を入れ、ぐっぐっと広げている。そして、足の甲からふくらはぎへと手が伸びていく。ぱんぱんに張っているふくらはぎ裏を幽霊は優しくおしていく。私は心地良さに眠りに落ちていた。  翌朝、私は驚くほど軽快に目が覚めた。いつも引きずっている足の痛みがない。 「何だったんだ……」  心なしか、ハーフパンツから見える足もほっそりして見えた。  幽霊はその後も現れて、私の足を揉む。最近ではリフロクソロジー、足つぼは効果がないとされているらしいが、それでも人(幽霊)に足を揉まれるのは心地が良い。事故物件と言っても悪くないじゃないか。そう思っていたある日、私はクローゼットから一枚のプリクラを見付けた。カップルがピースサインをして、「みか、りょうすけ、ずっといっしょ」 と書いてある。 「えっ」  女性のほうを見て、私は驚いた。激しく加工し、盛ってはあるが、女性のほうが足を揉んでくれる幽霊にそっくりだったからだ。  私は自分の住んでいるマンション、K市S区、変死、マンション名、女性で検索をかけた。すると、「マッサージサロン勤務、松下美佳さん(24)がマンションで変死しているのが発見された」など、二年前の記事が見つかった。  いつもどおり、幽霊はやってきた。 「おい、美佳」  私が思いきって幽霊に声をかけると、幽霊はびくりと体を震わせた。 「やっぱ、あんた松下美佳なんだな」  美佳はそのまま、私の足裏をもみ始める。幽霊のくせに手が震えていた。 「あんたさあ、りょうすけの足は揉んでやらないの?」  美佳の手が止まった。  美佳はそれでも毎晩現れては、私の足を揉んでくれた。私は美佳にあれこれ質問した。「りょうすけ、今、どうしてるの」「なんで死んだの」美佳はただ、黙っているだけだった。私はなんとなくてもちぶさたになって、美佳に男と別れた経緯を話した。それは気を許したエステシャンや整骨院の先生にはなしをするのと同じだった。彼等はそういうとき、私の心情によりそい、「たいへんでしたね」といってくれる。だが、美佳は何もいわず、私の足をマッサージしてくれるだけだった。でも美佳が私の足の疲れをとってくれようとしているのは、なんとなくわかった。  私は携帯で松下美佳と「りょうすけ」を検索した。りょうすけこと、島田良介は美佳が自殺したころに、結婚していたことを突き止めた。  島田には妻と子どもがひとり。子どもは二歳だとインスタグラムに誕生日の写真がアップされていた。よく見ると、島田は家族連れで私の勤める百均が入っているショッピングモールにも来ていた。  獲物を見つけたアドレナリンが出たのか、私は自分の瞳孔がぐっと開くのを感じる。島田が結婚した時期と美佳が自殺した時期はほぼ一緒。おそらく美佳は島田に二股をかけられ、捨てられ、自殺したのだ。    美佳は私の足をひたすら揉む。彼女はマッサージサロン勤めで、おそらくつきあっていた島田にもそうしてやっていたのだろう。  無口な美佳だったが腕は相当良かった。かゆいところに手が届くとは彼女のマッサージの技術のことをいうのだろう。  私はまだ残っていた美佳のアカウントも突き止め、美佳が勤めていたマッサージサロンを訪れた。 「こんにちは、沢田晴様」  にこやかにスタッフが出迎えてくれる。  私は「松下さん、まだいらっしゃいますか」と聞いた。すると店長らしき女性が「松下はやめてしまいまして……」そう、言葉をにごす。  松下さんに施術してもらって、凄く気持ち良かったんですと嘘をついた。 「松下がですか?」店長自らが私の足をマッサージしてくれる。 「松下さん、うまかったですよ、無口だったけど、ケアのやりかたも教えてくれましたし」 「ええ、器用ではない子だったんですが、一生懸命やってくれてました」  店長はどこかさびしげな微笑みを私に向けた。  私と店長はどこかぎくしゃくしていた。店長も美佳が自殺したことを知っていたのだろう。会話もつづかない。そのせいだろうか、店長はぼつり、ぼつりと喋りはじめた。 「あの子はあんまり友だちもいなくて、彼氏にべったりだったみたいで……。でも彼にもそれが重いって思われたのかしら……」 「そうなんですね」  私は美佳と良介のプリクラを思い出した。良介にくっついて嬉しそうにしていた美佳。「みか、りょうすけ、ずっといっしょ」の言葉。 「あら、ごめんなさいね、余計なことをしゃべっちゃった」  店長ははっと喋りすぎに気がついたのか、にこりと笑顔を向けて、話題を変えた。  島田の家族をショッピングモールで見かけたのは、次の日曜日だった。仕事を終え、バックヤードから出てきたところ、プリクラよりはおとなしくなってはいたが、たしかに「りょうすけ」がそこにいた。派手な髪型は黒くさっぱりと整えられており、体型もふっくらし、顔つきもどこか緩くなっている。それは彼が幸せな家庭を築いているという証でもあった。私はいらだった。 「島田!」  私はつい、声をあげてしまった。 「えっ」  島田は知らない女に呼び捨てにされてびっくりしていた。「りょうくん、お知り合い?」「パパ、だれ?」妻と子の呼びかけに島田は「いや、知らない」というので、私はかっとなった。毎晩、私の足を揉みに来る美佳。自殺した美佳。  ところが、そこで思い浮かんだのは、私と同棲していた男の顔と生活だった。それまで忘れていたのに! 花火を見に行った、ドライブに行った、いつもベッドで足を寄せてきた、忘れたはずの、私が捨てたはずのあいつ。どこかで、クレーマーとつかみ合った時にした、ぷちんという音が脳内から響いた。 「美佳はあんたを恨んでるってさ! 地獄で手ぐすね引いて待ってるって!」  マッサージだけに。私がそう叫ぶと、島田の顔色がさあっと青くなった。 「美佳が……? あんた、美佳のなんなんだ!」  島田が私を問い詰めようと距離を縮めてきた。男性に迫られるのはやはり怖い。しかし、私はあえて島田に向かいあって、財布に入れていたプリクラを出して、彼に押しつけるように見せつけた。 「美佳からの置き土産だ! 美佳はあんたを許さないってさ!」  私はプリクラを島田に投げつけた。ひらり、とプリクラは宙を舞った。島田は目をぐっとひんむき、「それをどこで」と言いかけるが、私は仕事で鍛えた脚力で、うろたえる島田一家を放置し、自分でも驚くようなスピードで走り去った。  私は美佳と自分を重ねていた。勝手に。  走りながらこぼれおちる涙にむかついた。別れた男を引きずってる自分に、幽霊の美佳に。  その夜も美佳はやってきた。しかし美佳はいつものおどおどとした感じはなく、私の足をつかむと、ごりごりと揉んでくる。 「い、いてえ!」  私は美佳の力に叫び声をあげた。ああ、美佳、怒ってんのか。あんたまだあんな男のこと好きなのか。私も一緒だなあ。  私も美佳も負け犬みたいだ。浮気されて、男を忘れられてなくて。くだんない自分にうんざりして私は事故物件に引っ越し、美佳は首をくくった。  それはうんざりするような自分と離れたかったからかもしれない。  形は違えど、美佳も私も一緒なのだ。 「……勝手なことして、ごめんな。美佳……」  不意に美佳の力が緩んだ。そして、美佳が私の足の裏をとり、指で何かを書き始めた。そしていつもどおりの優しいマッサージに変わっていった。  そのまま、美佳と住んでもいいかなと、私はぼんやり次の日、考えていた。幽霊と人間の二人暮らしも悪くない。  ところが、その後、美佳が現れることはなかった。なんだか急にさびしくなった。美佳の腕にはかなわないが、フットマッサージャーを買った。所詮は機械のマッサージ。幽霊でも美佳の手が恋しくなった。    ベランダでビールを飲みながら、夜空を見上げる。都会の夜には星がない。    私はしばらく吸っていなかったたばこを口にした。たばこの煙を吸いこむと、ごほん、とむせた。  私たちは負け犬だ。恋と人生に負けた。ノックアウトされて、リングに沈みこんだ。  だが、負け犬のままで私は終わるつもりはなかった。百均というステージで、ショッピングセンターで私は私の人生を生きる。  そして、島田に暴言を吐いたあの日、美佳が私の足裏にかいた言葉。 「あ、り、が、と」  勘違いかもしれない。  ほぼやつあたりみたいにして追い詰めた島田や、私の憂さ晴らしにプリクラを使ってしまった美佳への罪悪感からの思いこみかもしれないし、寝落ちしかけて見た夢かもしれない。  私は仏教徒じゃないから、成仏という概念は分からない。それに美佳が、どうして自死を選んだのか、島田と何があったのか、はっきり知っているわけじゃない。  でも、美佳がどっか、ここじゃないところ、美佳が命を絶たざるをえなかった場所ではないところ、美佳がいきたかったところへいけたならいいな、と苦いビールを飲み干した。
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