見えない出口 SIDE A

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見えない出口 SIDE A

 木枯らしが吹くある日、駅のホームで彼女に会った。  大学時代の同級生、同じ学部、同じクラスに在籍していた理系女子、1クラス50名のうち女性は僅か3名しか居なかったから、彼女の事は覚えている。  だけど、これと言った思いも無ければ、思い出も見当たらない。  強いて言えば、卒業式の日、謝恩会が終わった後に、店の前で仲間との別れを惜しんで居たら、傍に居た彼女が右手を差し出してきて、握手を交わした事くらいだ。それだけなのだが、何故かその時のひんやりした手の感触は、今でも思い出せる。  僕に気付いた彼女が声を掛けてきた。 「やっぱり、そうだよね……」  彼女が誰であるかを思い出すのには、少し時間が必要だった。  白衣を着て過ごす事が多かった殆ど素顔の学生時代。その頃とはガラリと変わって、明らかに彼女は垢抜けていた。  少し赤み掛かった髪の毛、パッチリとしたアイライン、鮮やかな紅色の唇……  行き先が逆方向だった僕と彼女は、僅か数分の立ち話で別れた。  別れ際にお互いの名刺を交換した。  僕のほうから連絡するつもりは無かった。  だから続きは無いと思っていた。  ところがその晩、彼女から電話が掛かってきた。  大した接点のない僕たちが話をしたところで、長続きはしないだろうと思っていた。だけど予想外に電話は長くなった。それは彼女の話題の作り方が上手で、僕の心を引き付けたからだと思う。  ごくごく自然な話しの成り行きで、僕は彼女と会う事になった。  木枯らしのあの日、駅のホームで出会ってから三日後の金曜日、僕と彼女は会った。  横浜駅の西口で待ち合わせをした僕らは、洒落たイタリアンレストランで食事をした。  彼女が話題を作り、それに僕が答える。  大して面白くもない答えを、彼女が上手に拾い上げ、話を膨らませていく。   僕にとって居心地の良い空間だった。だけど時間が経つにつれて、それが息苦しさに変わっていく。  二軒目に入ったオーセンティックバー。  その店の雰囲気と、その店の雰囲気に調和しようとする彼女の言葉遣いが、僕の心を次第に重くしていった。  僕は出口を探し始めた。  仮にこれをデートと呼ぶのならば、このデートをどういう形で終わらせるべきか。僕の頭はその事で一杯になる。  今日、誘ってきたのは彼女のほうだ。僕はそれに応じた。  彼女はこのデートの出口を何処に求めているのだろう。  久しぶりに会った男と女が食事をする。それだけで終わるのは不自然なのだろうか。  そんな事を考え始めたら、彼女の声が遠くに離れていった。 「ねぇ、聞いている?」 「あぁ、ごめん…… ちょっと別の事を考えていた」 「何よ…… 女性との会話中に別の事って……」  何かを含んだような笑顔を浮かべて、彼女は頬を膨らませた。何とも言えない嫌らしさを含んだ意味深な笑顔だった。  その表情を見た瞬間、僕の心は決まった。  この店を出て、今日のデートを完結させよう、と。  大学時代に大して交流の無かった女性と何年かぶりに会い、その日にベッドを共にする。僕の恋愛モラルの中にそういう流れはあり得ない。  好きになった女性と、じっくり愛を育み、しかるべきタイミングで男と女の関係に発展していく。それが恋愛のあり方だと、僕は思う。  だから食事をして、会話を楽しみ、今日はそれで終わる。  きっと続きは無い……  それなのに潤んだ瞳で見つめてくる彼女は、別の出口を求めているように思えた。 「そろそろ、行こうか……」  彼女がトイレから戻ったタイミングを見計らって、僕は言った。 「どこへ……」  彼女の艶っぽいイントネーションに緊張感が漂う。 「どこって…… そろそろ終電の時間だし……」 「これでおしまい…… なの……」  僕の腕に、彼女の腕が絡みついた。  誘われている……  僕が求めている出口と、彼女が求めている出口は明らかに違っている。  薄々、感じていた事だが……  今日はこれでおしまいにしよう。そう言えば良かったのかもしれない。だけど誘っている彼女のプライドを傷つけてはいけない。そんな余計な気遣いをした僕は、どこかへ行く?、と思わず口走ってしまった。  コクリと彼女が頷いた。  そこから先は、彼女に導かれるがままだった。  僕に出来るのは、男としての本能を呼び覚ます。ただそれだけだ……  大型のシティーホテルにチェックインした僕らは、自然な流れに抗う事無く、激しく抱き合い、そして朝を迎えた。随分とぐっすり眠った気がする。    連日の激務から解放され、疲れが出たのかもしれない。それに彼女との情事が、眠りを深くしたのかも……  窓から差し込む朝日に目を覚ますと、彼女はすっかりと身支度を整え、大きな鏡の前に座って、化粧の仕上げをしていた。  鏡に写った彼女と目が合う。  鏡の中の彼女は僕に微笑み、おはよう、とひと言呟くと、口紅を引き始めた。  凛とした佇まい……  昨晩、身体を求め合った彼女とのギャップに何故だか胸が痛んだ。  この痛みは…… 何なんだ…… 「朝イチの会議があるから、先に出るね」  口紅を引き終え、完璧な女に仕上がった彼女は、そう言うと少し冷ややかな微笑を浮かべた。  昨晩、オーセンティックバーで魅せた艶っぽさは、微塵も感じられない。  それがまた、僕の胸をキュッと締め付けた。 「そんなに悪く無かったでしょ…… もしも続きがあるのなら連絡ちょうだい……」  彼女はそう言い残して、部屋を出て行った。  静かな音を立ててドアが閉まった瞬間、彼女の香水の匂いが微かに漂った。  どうやら、僕が望んでいた出口とは違うところへ出てしまったようだ。  思い描いていたのとは違う場所だった。だけどそこは新鮮な景色で、少し刺激的な香りがした。  別れたばかりなのに、彼女が恋しくなっている事に気づいて、思わず苦笑いが浮かんだ。
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