足りないのではない

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足りないのではない

 庶民家に生まれた子供はのちに、養子として貴族の家へ迎えられる。  ある日、子供が町を歩いていたところ、みずぼらしい老人と出会い、友達同士になる。  しかし、その老人は、面倒を見切れないという理由で家族に捨てられていた。  捨てられた後は自分を助けてくれる人を当たり探し回っていたが、誰も助けてくれず、その上残り少ないお金や食べ物を強奪されることもしばしばあったという。  老人の話を聞いて可哀想だと感じた子供は、それからというもの、毎日家から余った食べ物をこっそり持ち出し、老人にあげることを繰り返すように。  さらに、他の見捨てられた人々や貧しい人々にも食べ物を分けてあげた。  ところが、ある日。 「食べ物を分けてくれる子供がいるらしいぞ」  庶民たちが町中で騒いだことが原因で、子供が家から食べ物を持ち出していることが、義理の両親にばれてしまう。 義親は子供を叱り、外出も禁止する。 「庶民は私たちの使命を邪魔してくる悪い奴らだ、私たちを理解しようとしない奴らに食べ物をあげていいはずがない」  義親をはじめとする貴族たちは、自分たちが贅沢をするため、庶民たちに重い税や過酷な労働を押し付けていた。  そのくせ、納められた大量の食べ物や衣服など物品を自分たちだけで独り占めしていた。  また、彼らは物を独占し合うため、奪い合いや争いを頻繁に繰り返し、互いの仲もあまり良くなかった。  場面は変わって別の日。  友達である老人を心配していた子供は、友と再会すべく、真夜中にこっそり家出をする。  だが、家出先で見かけた町の人々の様子に、子供は驚く。  庶民たちは誰もが真面目に働いていた。四六時中……年中無休に、夜すら一秒も休むことなく。成人男性も、か弱い女性も、幼い子供も。  その分、物資は有り余るほどに生産され、まったく不足とは言えなかった。  しかし、このように充分すぎる量の食べ物や水、服飾品などを、暴食で強欲な貴族に納める為だけに、庶民は嫌でも倹約しなければならなかった。身を削ってでも、死なないぎりぎりでも。  だから庶民のほとんどは飢えや喉の渇き、寒さに苦しんでいた。  たとえ病気だろうが、たとえ貧乏だろうが、彼らは貴族のために働かなければならなかった。  搾り取られなければならなかった。  自らを犠牲にしなければならなかった。  彼らは苦しそうだった。疲弊していた。極限状態にあった。  庶民の生活環境は、地獄のように、まさに凄絶だった。 おわり
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