自殺がいけない理由

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自殺がいけない理由

 最近、何をやってもうまくいかない。  勉強や部活を頑張っても思うように成績が上がらない。  友達と大喧嘩をして口も聞かなくなった。  家族ともろくに会話しなくなった。  本当に、何をやってもうまくいかない。  今まで、普通に、自然と、できていたことが、突然できなくなった。  お先真っ暗で、何も見えない。  眠れぬ苦しい夜、ふと思った。 「死にたい……死にたいのに、なんで自殺しちゃいけないんだろう。 人間に生きる権利があるのなら、死ぬ権利だってあっていいはずなのに」  私には死にたい気持ちが生まれていた。  しかし、覚悟を決める勇気もなく、誰にも相談できないまま、生き地獄に耐え、なんとか生き延びた。  数週間後。数年前に起きた災害の追悼式に、参加することになった。  実は過去に、私は自分にとって一番大事な人を不幸にも亡くしてしまった。  当時、私はものすごく悲しかった。  最大の心の支えを失ってしまったから。  式典にて、黙祷中、私は大事な人との思い出を無意識に思い出す。  物事がうまくいかなくて焦った時には「焦らなくて良い」と。  自分が周りと違うことで悩んでいた時には「あなたはあなたのままで良い」と。  大事な人は自分に教えてくれた。 「がんばれ」と温かく応援してくれた。  いつも見守っていてくれた。  式の後、会場を出たところで、広い広い空を見上げる。 「大事な人はもうここにはいない。でも何だか、今も雲の上から、見守っていてくれている気がする」  私は、気づいた。  生きることは、同時に、誰かを支えることでもあると。  生きる者にはみな、使命があるのだ。  その使命を自分の都合で破棄する、すなわち自分の命を自分で消すことは許されないと。  自分は苦しみから逃れるために自殺を考えていた。しかし、もしも自分のためだけに自分を殺したら、周りの人は深い悲しみと苦しみを一生背負わなければならなくなる。 「大事な人が死んだ時は悲しかった。もし私が死んだら、お母さんとお父さん、友達や周りの人たちを悲しませちゃう……」  自分の都合で他人を悲しませる権利がないならば、自分だけ苦しみから逃れるべく周りに迷惑をかけてまで自ら死ぬ権利もない、ということ。 「自分がここまで生きてこれたのも、大事な人の支えがあったから……みんなの支えがあったから……」  私は決意した。 「生まれたからには、最後まで……しっかり生きたい。できることをできるだけやりたい。 自分の使命を果たしたい」  大事な人の分まで生き、寿命が来るその瞬間まで、生きることを。  それからというもの、私は、一日一日を大事に大事に過ごすようになった。  朝では読書を、学校では授業を、昼では部活を、夜では勉強を、真面目にやった。  休みの日には、お母さんの代わりに家のお手伝いや兄弟の世話もした。  自分のやりたいことや好きなことも、やれるだけ思う存分やった。  体育祭や文化祭も頑張った。友達と遊んだり異性と仲良くなったりした。一度きりの青春、がっつり遊んで学んで楽しんだ。  やがて学校を卒業し社会人になると、新しいことを覚えながら仕事をこなす日々が続いた。  もちろん楽しいことばかりでなく、辛いことや苦しいことも多かった。  失敗をしてものすごく怒られたり。  人と意見が違って喧嘩をしたり。  思うように物事が進まなかったり。  しかしいずれにせよ、たくさんの経験値を手に入れた。  何より、辛い時も笑顔を絶やさず、苦しい時も感謝を忘れなかった。  もちろん本当に辛くて苦しいときは、素直に泣いた。  私にとって、毎日のご飯は神様からの贈り物。  厳しい状況も神様からの試練。  嫌な性格の奴も人生の先生。  だから、私はどんな些細なことでも感謝した。心を込めて「ありがとう」と。 代わりに、愚痴や悪口は絶対に言わなかった。  そのこともあってか、私はいつも上機嫌で幸せな気持ちだった。  周りの人々も、私を慕ってくれたし、人間関係も順調に上手くいっていた。  三十代頃になると、同期の女性社員と結婚し、幸せな家庭を築いた。  しばらく、笑いいっぱい、涙いっぱいの夫婦で支え合う日々が続いた。  それは、私たち夫婦がおじいさんおばあさんになっても、続いた。  ところが、結婚から五十年ほど経ったある日のこと。  私は病気をわずらい、入院することとなった。  数日後、妻が見舞いに行くも、私はすでに病死してしまう。  葬式にて、私を慕ってくれた人々はみんな泣いた。涙を流した。  それくらい、生前の私は素敵な人間だったというわけだ。  しかし、私は、この世から完全に消え去ったわけではなかった。  死んだはずなのに。私は気付けば、見知らぬ場所に立っていた。  周りを見渡すと、なぜか優しい人たちばかりが集まって、みんな楽しそうな様子だった。  ふしぎだな、と思いながらあたりを歩き回っていると、突然、先立ったはずの両親が目の前に現れた。  生前、いつも愛情たっぷりで私を育ててくれた人たちだ。 「今まで元気に過ごしてたかい」 「うん、元気だったよ。お母さん、お父さん、今まで育ててきてくれてありがとう」  次に、同級生や友人に会った。  生前、笑い合ったり泣き合ったり青春を共にした人たちだ。 「おっ久しぶりだな」 「みんなも、相変わらず元気だな。懐かしい気持ちだ」  他にも次々、生前で会ったことのある人々と再会する。  そう。この不思議な世界の正体は、霊界……死者の魂が暮らす世界だったのだ。 霊界では、両親をはじめ、今まで出会った人たちが幸せに暮らしていたのだ。  最後に私は、あの、大事な人と再会する。  命は死んでも、完全に消えることはなかったのだ。世界から。そして、私の記憶からも。  やっぱり生きていて、良かった。  嬉しさのあまり、私は涙を流して言った。 「あなたに会えて嬉しい」  大事な人も、嬉しそうに返した。 「わたしも嬉しいよ」  私たち二人は、抱きしめあった。  それから私たちは、しばらくの間 天国で、幸せに、穏やかに暮らした。 おわり
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