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サイレンを鳴らしながら走り去る覆面パトカーを皆で見送った。
通用門の脇に植えられた沈丁花がふわりと香った。
藤川先生が僕たちを振り返った。
「君たちも疲れただろう。早く帰りなさい」
自分こそ疲れ果てた顔をした藤川先生はそう言うと、校舎に戻って行った。
でも僕たちはまだ動けずにその場に立ち尽くしていた。
「…悪い夢を、見ていたような気分だわ…」
俯いたまま掠れた声で美波が言った。
「でも、夢じゃないのよね。…坂本先生はもういないのよね」
「ああ、もうあの人はいない。もう、会うこともない」
そう言った薫はそっと僕の腕を離した。
「終わった…んだね…」
僕はほんの数分前に走り去った車を、その車に乗り込んでいく坂本先生の姿を思い出していた。そして数十分前の僕たちにカメラを向けていた笑顔を、信じ難い話を淡々と語る横顔を。倒された椅子から、混雑した駅の階段から落下する感覚をも思い出して、僕は薫の袖を掴んだ。
「でも…終わっても、元に戻る訳じゃ、ないんだ…」
僕は、犯人が捕まれば事件は終わって元の日常が戻ってくるんだと思っていた。
そして時間が経てば忘れてしまうのだと。
遠い未来に「そんな事もあった」と思い出す、そういう古い記憶の一部になるのだと思っていた。
なのにこれは、この結末は。忘れっぽい僕にも忘れる事を許さないだろう。
もっとも今はもう、忘れたいのかどうかもよく分からないけれど。
「…なんか…頭の中ぐちゃぐちゃだよ…」
「私もよ…」
美波が僕の腕をぎゅうと抱いて言った。
「…オレもだよ」
薫は僕の髪をサラリと撫でた。
「お前が無事だったのがせめてもの救いだな…」
そう呟いた薫は、もう一度僕の頭を撫でた。
大きな手がゆっくりと触れていくのが心地良かった。
「違うわ薫くん。2人ともよ。裕ちゃんと薫くん、2人ともが無事で本当に良かったわ」
顔を上げた美波がきっぱりとした口調で言った。
赤く潤んだ目元が痛々しくて、でもとても美しかった。
僕たちがどうにか動き出してようやく帰路についた頃、陽はもう傾いていて、濃くなりつつある蒼い空に薄紅の雲がふわりふわりと浮かんでいた。
その絵のような夕焼け空は僕から現実感を奪っていく。
非日常過ぎた放課後の出来事を、僕はまだ消化しきれていなかった。
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