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 帰宅の車中は皆無言だった。  車が高岡家に到着したとき美波が、 「私が弘くんに電話しておくけど、十分な説明ができるかは自信がないから、また明日にでもみんなで話しましょう」  と言って降りていった。  僕も母にきちんと説明できる自信はなかった。何より坂本先生とのやりとりの全てを話すのは嫌だった。  僕がそう言うと薫が「それならオレが説明する。どうせならうちの母親も一緒に一度で済ませよう」と言って、都さんを連れてきて僕の家で皆に説明してくれた。  2人の母たちは、息子たちが巻き込まれた事件の犯人が、学園の教員であった事におおいに驚き、悲しんだ。  母2人は手を取り合い涙を流して慰めあっていた。僕はその様子を、時折ちらりちらりと視線を上げて見て、2人一緒に聞いてもらって正解だったと思った。  僕が思っていた以上に母はショックを受けているようだった。  悲しみに暮れる母2人を幸子さんに託して、僕と薫は僕の部屋へ移動した。母親が自分のために悲しんでいるのを見るのは辛かった。  部屋に着いて少しした時、学園から一斉メールがきた。「明日、明後日は臨時休校。理由は後々。尚、坂本先生は一身上の都合により退職」というような内容だった。  その頃にはもう坂本先生は実名で報道されていたようなので、それだけでも皆理解したと思う。学園名は伏せられていたものの、今の時代そんなものすぐに知れ渡ってしまう訳で、僕たちの周りに平穏はまだ訪れそうにない。 「メールとかニュースの前に、お母さんたちに話せて良かった、…よね?」 「…たぶんな」  ベッドに並んで腰掛けて、次々と届く友人たちからの着信を見ていた。  その、驚きや悲しみを伝える興奮した文字たちはけれど、安全な外側から投げ掛けられたもので、それはもちろん当然とも言えるのだけれど、僕にはひどく遠い世界の言葉に見えた。  どう返信を打てばいいのか分からなくて、スマホをベッドに投げ出して薫に寄りかかった。  「疲れた…」  薫の柔らかいセーターに頬を寄せると、急速に瞼が重くなった。 「裕那」と呼びかけられたような気がするけれど、僕は吸い込まれるように眠りについた。  目覚めた途端に消えてしまう混沌とした夢を見た。物悲しいような、切ないような、それでいて恐ろしい印象の夢で、少しばかり動悸がしていた。坂本先生が出ていた気がする。  ベッドサイドの灯りだけがオレンジ色の柔らかい光を放っていた。  僕はきちんとベッドに寝かされていて、横を見ると薫がいて何かを読んでいた。  僕は手を伸ばして薫の袖を軽く引いた。 「ん?起きたのか?」  薫は手元から目を上げて僕を見た。 「ねむれないの?」 「まだそんなに遅い時間じゃないよ。母さんたちは3人で呑んでる。お前はもっかい寝な。舌回ってないぞ」  ぼんやりとした視界に微笑む薫が見えて、大きな手が近付いてきた。  頭を二度、三度と撫でられると、またもや瞼が重くなる。  夢を見る事への若干の恐れを感じ、伸ばしたままだった手で薫の服を掴んで再び眠りに誘われた。  その後も浅い眠りを繰り返し、何度か目が覚めた。その度に隣には薫がいて、僕はまた眠る事ができた。  頬に触れられる感触に目覚めかけると「ごめんな、裕那」と言う薫の呟きが聞こえた。「なぜ?」と「もしかして」が綯い交ぜになり、けれどもまだ眠りの途中の頭は上手く働いてくれなくて、でも目を開けてはいけない気がした僕は、瞼を閉じたまま薫の言葉の意味を考えようとした。  だけど、温もりに包まれた身体はまだ眠りを求めていて、僕はゆるゆると溶けるように意識を手放してしまった。  明け方に目覚めた時、ようやく薫は眠っていた。  綺麗な顔にうっすらとクマが出来ていた。  事件以来、少し削げたように思える頬のラインをそっと指で辿ってみる。  そして僕は眠る薫を見ながら、昨日までの様々な出来事を思い返していた。  あの時頭の中で響いた音は、それまでの日常との別離の音だったのかもしれない。  花の色が移ろうように、ずっと変わらないものなど無いのだと。  一瞬の決断で、人生が変わってしまう事もあるのだと。  戻ってこない日常もあるのだと。  解っていたようで解っていなかったのだと、その時僕はそう思い知ったのだった。  
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