金平糖、モザイク、海辺。

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砂浜に降りて愛犬のリードを外す。  コリーの老犬で、名前はチャイ。本当の名前はチャイコフスキーだが、呼び辛いからチャイにした。  私は砂浜に腰を下ろして、今日しかない景色を愉しむ。潮の音。海の鼓動。もうこれ以上、後悔がないように。 私は人生の中で二度だけ恋をした。 一人は女房のあけみ。見合い結婚だったが、貧しい暮らしに、愚痴ひとつこぼさず、付いて来てくれた。彼女のおかげで、借金を完済できたし、財産もできた。何処にも連れて行ってあげられなかった自分が情け無い。彼女が居なくなって、あらためて彼女の存在の大きさを知った。 もう一人は女房と出会うずっと前、まだ子供だった時の話になる。 つまり、初恋だ。 ミヤコ、君だよ。  ミヤコとは小学校でも中学でも、ずっと同じクラスだった。彼女は飛び抜けて裕福な家庭の子供だった。幼馴染ではあったが、彼女は皆の憧れ。特別な存在だった。中学二年生の夏。ミヤコの両親が娘の為に、バレエの発表会のチケットをクラスの同級生に配って回ったことがある。普段から優しくて可愛い彼女の、晴れ舞台を一目見たいと、皆、大喜びで彼女を見に集まった。もちろん私もその一人だ。 チャイコフスキーの"くるみ割り人形"金平糖の精の踊り。という舞台だった。 音の無い、薄暗い舞台の上でミヤコだけが踊り始める。彼女にスポットライトが当たる。整った顔が輝く。印象的で妖しい曲が流れ始める。細くて長い手足が、しなやかに、跳ねる、飛ぶ。大きく開いたスカート、真っ白なタイツ、トゥシューズ、美しく結った髪、煌めくティアラ。 彼女はまさに妖精だった。 たぶん、ずっと好きだった。 そう気づいた。  翌日廊下ですれ違った彼女を見て、生まれて初めての胸の鼓動を感じた。 「おはよう。しょう太くん。」 「あ、うん。」 少し驚いた。彼女の方から声をかけてくるなんて初めての事だった。彼女はクラスの主役で、私は通行人Aくらいの存在だったのだから。 「昨日、観に来てくれてたね。」 「え?あ、うん。見えるんだ。観客席って。」 「見えるよ。しょう太くんだけは…」 彼女はそう言って笑って、走り去った。 「え?」  それからしばらくして、彼女のお誕生会に招待された。山の手の立派な洋館に、蝶ネクタイをした私は、母が選んだプレゼント用の白いくまのぬいぐるみを持って訪れた。外のゲートで予め待ってくれていた、お手伝いさんらしき人に案内される。リビングに着くとミヤコの母親が迎えてくれた。「いらっしゃい。わざわざミヤコの誕生日に来てくれてありがとう。今日はゆっくりして行ってね。」テーブルにはケーキや菓子やサンドイッチが用意されていた。たくさんある椅子のひとつにミヤコだけが座っていて、「他の子は?」と尋ねると… 「誰も来ないよ。しょう太くんしか招待していないもの。」 ミヤコは少し視線を逸らして微笑んだ。 「お誕生日おめでとう。」 そう言ってプレゼントを渡す。 「ありがとう。大切にするね。」 楽しい時間だった。 帰らなければならない時間になり、 彼女は彼女の母親と一緒に、ゲートまで見送りに来てくれた。 「ねえ、しょう太くん。」 「なに?」 「キスしようよ。」 私は顔から火が出たように真っ赤になったはずだ。 彼女の母親は笑っている。 「なんで?」 「キスなんて外国ならあいさつみたいなものよ。」 そう言うと 彼女は私の唇に優しくキスをした。  
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