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江ノ電沿線で暮らすのが長年の夢だった。
鎌倉高校前辺りの、山を背にした、砂浜が目の前の、そう広くはない平地にひしめく洒落た家屋。
まるで物語の中にいるような景色に憧れていた。
人生、遮二無二、働いて
希望の地に豪勢な屋敷を建てる事が出来たのは、一昨年の事だった。
これからゆっくり暮らせる。
という訳には行かなかった。
妻には五年前に先立たれ、
私に残された時間も多くはない。
癌だ。余命宣告を受けたのは3年前。
延命治療は断った。痛みを緩和しながら在宅医療をお願いしている。
いつ、何があってもおかしくない。
子供は男女四人いる。
親バカながら、皆優しい大人に育ってくれた。
潮風の薫りを全身に浴びながら
朝な夕なに愛犬と海辺を散歩する。
老人の細やかな楽しみのひとつだ。
海はいい。
訪れる者を拒まない。
誰でも等しく受け入れてくれる。
時に悩みを聞いてくれるし
時に記憶のアルバムから抜け落ちた物を見つけてもくれる
まだ中学生の頃。父親が突然、他界した。莫大な借金を抱えた石材会社を継いだのは、それしか生きてく道がなかったからだ。
それでも、父親に恩を感じる、腕のいい職人が数人いたおかげで仕事は切れなかった。
四人の弟、妹たちは、皆大学まで通わせた。自分にかける時間も金もなかった。働き始めて50年、病気になるまで一日たりとも仕事を休んだ事はない。女房には、彼女が死ぬまで、何処にも連れて行ってやれなかった。申し訳ない。出来た女房だった。
運命を大きく分けた出来事があった。バブル景気に日本が沸いていた頃、皆がこぞって土地を買い漁る中、私はジャンボジェット機を買って、航空会社にリースした。会社の売り上げとは別に毎月二億円が口座に振り込まれた。バブルが弾けて、多くの経営者仲間が倒産していくのを後目に、私の会社は成長し続けた。
私は成功した。そういう人生だったのだろう。ただ、財産を作りはしたが、私自身は常に慎ましく暮らし、贅沢もせず、遊びも知らない。それが幸せだと私は思ってはいない。自分の子供たちに、私のような人生だけは送って欲しくない。と心の底から思っている。
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