第一章 母の嘘

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第一章 母の嘘

いつからだっけな、多分幼稚園の頃からかな、私の戦いの日々が始まったのは…. 私には姉が1人兄が1人妹が1人弟が1人、私は真ん中だった。みんな「いいなーみんな揃ってて羨ましい」と言ってたけど、ゆういつの兄弟全員が 敵になったらみんなはどう思うのかな? いつまでかはもう記憶にないけど多分幼稚園の頃までは普通に楽しい日々を送っていた。私は東京に住んでいて家も良い家に住んでいてかなり恵まれた家庭に生まれた、だからそれなりに欲しいものも買って貰えたし家族みんなで仲良くしていた。でもそんな日々が崩れ始めたのは私が幼稚園の頃普通に幼稚園に行って家に帰ってくるとお母さんは少し顔が怖かった、何も言わずご飯を食べているとお母さんは急に「何でそんなに食べるのが遅いの?早くしてよ」こんな事言われた事なんてなかったから驚いたけど私はできるだけ早く食べるよう努力をした。それでも母は「早くしてって!なんでそんなに遅いの!」と怒鳴ってきた、気づいたら母の手にはフォークがあって私は無理やり口に食べ物を押し込まれていた。正直その時何が起こってたのかは理解が出来なかった、なぜこんなに苦しくなるまで口に詰め込まれなきゃ行けないのかも、ただ母の悪魔みたいな目を初めて見た日というのは覚えている。「ゴホッゴホッ」私は何回もむせそうになった、それでも母はフォークを私の喉の奥まで入れてきた。するとーグサッ! 私は泣き叫んだ、なんとフォークが私の喉奥に刺さってしまったんです。 母は自分が何したか築いたらしくすぐ私の喉に刺さったフォークを抜いて私の口の中を見た、出血が少なかったのか安心した母は私に「早く食べないのが行けないのよ」とただそれだけ言って部屋から出ていった。正直いって怖いという感情ではなかった、もう何が起こったか分からなくてただ混乱していた。 次の日起きた時喉の奥にすごい痛みがあった。幼稚園に着いてから鏡を見ると口の中の扁桃が真っ赤に血がにじんで腫れていた。鏡をずっとみていると友達にどうしたのと言われて母の事は言わずにただ喉が痛いと言うと先生に言われてしまい、先生が私の喉を見ると刺さった跡が見えたのか真剣に私の顔を見て「どうしたの」と言ってきた、私はそれでも母の事は言わずに黙っていると幼稚園の先生は私の母を呼びすぐ病院に連れていくようにいわれていた。病院に着くまで私は母と一言も口を聞かなかった。病院について先生に私の喉を見せた時、先生は母に「お母さんがやっちゃったんですか?」と聞くと母はスラッと「いえいえ自分でフォークでやっちゃったらしくて」とサラッと嘘をついた事に私未だに恐怖を感じる、薬をもらって家に帰る時母は一言私に「そんなに大したことないでしょ」とだけ言った。 この日から10年間私の人生との戦いが始まった。 時を飛ばし、私は小学3年生になっていた、気づくと私は部屋の外からも出られず毎日家に帰ってきたら部屋の中で監禁される日々を送っていた。塾にも通っていた、母は私に毎晩よる11時まで家に帰ってくるなと、だから私は毎回塾が閉まるまで自習室に居た。 「んーー暇だなぁ、する事ないなぁ。でも家帰ってもなぁ〜怒られるしなぁ」そう思いながら時間が過ぎるのを毎回待っていた。母は私に水代やご飯代を渡さなかったから、昼1時からよる11時まで何も食べない日々はそう簡単じゃなかった、食べ物ならまだしも、塾の中には無料で飲める水がなかったから喉が毎回カラッカラになりながら頑張っていた、時にはトイレのジャグジーから汚い水を飲むこともあった。ある日私はお姉ちゃんの財布が目に入った、財布の中を開けるとそこには沢山のお金が入っていて、ついつい1000円に手が伸びてお金を盗んでしまった。そのお金で私は飲み物、お菓子、食べ物をその日は沢山食べた。とても幸せだった、だからその日から私はついつい姉のお金を盗むようになってしまった。でもある日姉がお金の減っている事にきずき母に言った。すると母は迷いもなく私のところへ来て言った。「怒らないからお姉ちゃんのお金を盗んだのか盗んでないのか言いなさい」私は怖くて何も言えなかった。母は何回も怒らないからと言ったからその言葉を信じた私は「ごめんなさい、私です」と白状した。その途端私は頭の後ろから強く殴られ髪を引っ張られた。今じゃその時なんて言われたかは記憶にはないけどとにかく痛かったことだけが今でも染み付いている。私自身はお金盗むことがダメなことだとは分かっていた、それでもたまにはセブンイレブンにある暖かい食べ物が食べたかったんです… その日からどんどんエスカレートしていき私はついにトイレも外で行かなければ行けなくなっていた。夜11時に家に帰ってきて、ご飯を食べて母に「トイレ行ってもいいですか」と聞くと母は毎回「外で行きなさい。ついでにゴミも捨ててきて」と、でも当時小学3年生だった私は暗い公園が怖くて毎回そう言われた日はお世話になっている児童館に行ってトイレを済ましていた。 この児童館はちょうど私が3年生の頃にできてその頃からまるで児童館が私の家のように感じるようになった、塾ない日は毎日この児童館で色々な事をして楽しく過ごしていた。今考えるだけでもとても暖かい場所でしたね。 塾がない日も私はトイレは外で行かなければ行けなくて、ある日から児童館は夜10時に閉まるようになったんです。だからどうしても行きたくて児童館に行けない日は怖いけど頑張って公園でトイレをしてました。 日に日に夜ご飯の量も増えていき、テーブルに置かれた大量のご飯から目を背けようと部屋の窓の外に見える大きな野球場に残る光を見つめていました。でもその光が消えると私は「もうあそこに人いないんだ、もう皆帰っちゃうんだ」と自分が夜遅く起こされてる間にも人が起きててくれるっていう希望をいつの間にか覚えてました。「私も眠い起きてる、でも今あそこで野球頑張ってる人がいる」。 ある日私はいつものように児童館にトイレを済ましに行った。児童館の入口にいるおばちゃんともいつの間にか仲良くなっていてそのおばちゃんに会うのがただただ楽しみでトイレ行きたいと嘘ついて悪夢から抜け出すこともそう少なくはなかった。おばちゃんは私にえの描き方を教えてくれた。私はいつまでもそこに居たくて家に帰りたくなかった。でも当時の私は助けを求めるという事を知らず、ただただお母さんにされてる事は世間には言っちゃダメ、内緒にしなきゃ行けないとまるで脳が母に専用されてるような感覚ですね、今考えると。 おばちゃんは私に行った「なんで毎回こんな夜遅く来るんだい?危ないよ?」私は言った「ううん!ママとねジョギングしてるんだよ!大丈夫だよ!」と嘘をついた。嘘をつくのは慣れていた。でもおばちゃんは私を見送ると言い出した。私はやばい嘘がバレちゃうと思いおばちゃんに「あ!見て見て!あそこの遠くにいるのがママだよ!もう行かなきャ!」と演技までしてこの嘘をつき通していた。でもある日母は私に言った「あなた公園のトイレ行ってないでしょ、なんで毎回そんな時間かかるの」私は頑張って嘘をついた「うんちしてたの」でもその嘘は突き通せず児童館に行ってたことがバレてしまった。 その日から私はトイレに行きたくても外には行かせて貰えず、かと言って家の中のトイレにも行かせて貰えなかった。ゆういつ行ける条件は机にある大量のご飯を食べ追えること、例えばおにぎり3個サンドイッチ5個など本当に大量な量だ。そんな大量な量を毎日無理やり食わされていれば吐く日もあった、でも母は私に「食べなさい、自分から出たものだから食べれるでしょ」と、最初は嫌だったけど自分が吐いたものを食べるのは日に日に当たり前のようになってしまっていた。 でもさすがにトイレが我慢出来なくなった時は漏らしてしまっていた。最初はその漏らしたうんちやおしっこを片付けるだけでよかったんだが、ある日母は私にありえない事を言った。「食べて、あなたが出した物だから食べられるでしょ?早く綺麗にして」それを聞いた途端私は氷に着いた、
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