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第五話 天才と異才
朝のホームルームが始まった。
教壇には担任の先生が立ち、進行役を務めている。今からなにを議題に話そうとするのかは彼女の話を聞いているから予想が立つ。
(あれ? そういえば名前を聞いてなかったな)
副学級員のお誘いから趣味の話で盛り上がったのはいいものの、肝心の名前を聞いていなかった。名前を聞くことを置き去りにしてしまうほど、話に夢中になっていたのだろう。
誰かと、ましてや女の子とあそこまで話が盛り上がる経験など、これまでにはなかったから。
それがとても新鮮で、心地良くて、愛おしいと思えてしまうほどに。
「はい。ではみなさん、今日は前から話していた通り、クラス内で学級委員長と副学級委員長を決めたいと思いまーす。男女で一人ずつがこの学校の決まりですので、そこだけよろしくお願いしますね」
彼女の言っていた通りだった。正直半信半疑の内容でもあった彼女の話は、学級委員に就くことなど眼中になかった身として、話を左から右に聞き流していた部分もあったのだが、どうやら本当だったらしい。
真ん中の列に座る彼女の方に目を向け、心の中で疑った事による謝罪を入れておく。
先生は小学生を相手にしているかのような元気で明るい声を発した。
「やりたい人は手をあげてくださーい!」
すぐに挙手をしたのは勿論、彼女。
先程の話に信憑性を持たせるかのように先陣を切って挙手をした彼女の後ろ姿は勇敢に映った。
(そうだよな。普通はああいう人が学級委員にふさわしいよなー……)
思わず彼女と比べてしまった俺。あんな姿を見せつけられた後に挙手をするのはつい躊躇われてしまう。
その証拠と言わんばかりに、彼女以外に挙手をする者は現れないでいる。単純に興味がないのか、本当に躊躇っているのか心情は分からない。分かることがあるとすれば、彼女の言っていた通り他に学級委員に立候補する人はいないということ。
ここで俺が挙手すれば副の方は確実とも言える。
しかし、先生の一言によって俺の全身に衝撃が走った。
「では、女性の方は黒崎優香さんで決まりですね! 男性の方でやりたい方はいませんかー?」
(……くろささき……ゆうか……!?)
それは佐藤先輩が言っていたのと同じ名前。アリアの秘密を握り、かつ佐藤先輩に秘密を暴露したという張本人。
いや、まさかな……。1年生とはいえ、他にも同姓同名がいるかもしれないし、すぐに結論付けるのは安直すぎるか。
「ありゃ? 男性でやりたい人はいないかなー?」
中々男性で立候補する人が現れない為、先生が再度問う。
その時、彼女が……黒崎優香が、顔だけをこちらに向けてきているのが見えた。
その何か企んでいそうな笑みは、先程の彼女とは様子が違い、今はどこか、別人のようにも見える。
なんだか彼女の言う通りにしないと、今後の学園生活に影響を及ぼしてしまいそうな危険を見受けられ、俺はぎこちながらも挙手をした。
「あら? あらあら! よかった〜。林くん立候補してくれるの!?」
「あ、はい……」
「ありがとうー! これで無事、男女の立候補が決まったね! じゃあ後は、どっちが学級委員をやるのか決めてもらおうかな」
その台詞を待ち構えていたかのように、黒崎が言う。
「私が学級委員で、林くんが副学級委員につくことを、事前に話し合いを済ませています」
「まぁ! 用意周到だこと。林くんもそれでいいのかな?」
「は、はい!」
「じゃあ、それで決まりね! みなさん、立候補してくれた二人に拍手を!」
パチパチと教室内に響き渡る拍手音。誰一人不満そうな顔を浮かべている者はおらず、むしろ歓迎をしているかのようだ。
……いや、正しくは一人を除いて、か。
隣の席の人は俺の方を見ながら唖然としていて、拍手を送っていなかった。
★
朝のホームルームが終わる。
今日は1限目から隣のクラスと合同で体育がある為、男女別に用意された更衣室で体操着に着替え、体育館へと集合する。
体育の先生いわく、今日はバレーボールをするらしく、男女別で6人1チームを作れとのこと。
アリアはクラスメイトである黒崎からお誘いの声がかかり、すぐにチームを結成することが出来ていたけど、俺は……あいかわらず出来ないでいた。
周りでは『一緒に組もうぜ!』とか『良かったらどう?』とか近くにいる人に声をかけてチームを結成していたが、俺はその対象には選ばれない。なんなの? 俺は黒子なの? バスケやった方がいいの?
集団の隅っこにポツーンと弾かれている俺の存在を気にした体育の先生が言う。
「おーい。誰か林もチームに入れてやれー!」
おいやめろ。そのセリフは禁句だ。その言葉は誰も幸せにしてくれない地獄の言葉なんだよ。いらないものを無理やり押し付けられたら嫌だろ? 生徒の模範となる教育者ならもっと生徒に気を使った方法を実行するべきだと思うよ? 例えば先生がランダムで決めるとかさ。時にぼっちの自由は自由じゃなくなる時があるの! 理解して!!
そんな追い討ちをかける余計の一言が放たれると、俺の前で固まっている5人の集団が遠慮がちに声をかけてきた。
「じゃあ……どうぞ」
「あ、どうも……」
ほらー! 気まずい! 本当ホラーだわ!
「じゃあ試合の順番はくじ引きで決めるから、チームの代表1名、前に出てこーい」
おい、なんでそこはくじ引きで決めるんだよ。チームもそれで決めろや。
くじ引きの結果、俺達のチームは6チーム中、4番の数字を引き当てた。今回は勝ち残り戦にするらしいため、俺達の順番が回ってくるまでには時間があることだろう。
5点先取制とはいえ、ラリーが続けばそれだけ試合は長引く。バレーボールって初心者でもそれなりにラリーが続いたりするしな。
男女それぞれ、最初に試合をする2チームが色の違うゼッケンを着用し、別々のコートに入った。試合に出ない選手達は邪魔にならないよう壁際に寄る。俺はもちろん、壁の隅っこの方へと位置を取った。どうも、隅っこ暮らしの林です。
(おっ、アリアは1試合目からなんだな)
奥のコートではゼッケンを着用したアリアがいた。気合も入っているのか、普段は垂れ流している髪もポニーテールに仕上げている。初めて見るその姿に見惚れてしまっている自分がいて、慌てて首を振る。
(そういえば、アリアってスポーツはどうなんだろ?)
アリアは勉強に関して多くの生徒が解けない問題も、授業中に回答したりしてその優秀さが見て分かった。だが、スポーツに関しては今日が初めてだ。
体力テストがあった日の頃はアリアのことを気にかけていなかったし、一回目の体育はオリエンテーションで、体育祭でも踊るような学校専用の体操をしたぐらいだ。
だからこうして実践を交えてのアリアを拝見することは、今日が初めてなのだ。
アリアと同じコート側に立っている黒髪美少女がアリアにボールを手渡す。
「はい、赤坂さん」
「ありがとう。黒崎さん」
まさかの黒崎だった。アリアと同じくポニーテールに仕上げていたから気づかなかったけど、こうして隣同士で並ぶと二人の持つ異彩の美がより顕著に映ることが分かる。まるで仲の良い姉妹みたいだ。
ギャラリー男性陣は熱い接戦を繰り広げている男の試合には目もくれず、目線が明らかにアリア達の方へと向いている。いや、男性だけではない。女子達でさせも、憧れの的であるかのように見惚れながら凝視していた。
アリアと黒崎。この二人の人気度は凄まじかった。
アリアがコートの端に立ち、3回ほどボールをバウンドさせた後に、サーブを打った。
「きゃあっ!」
……なんてことでしょう。アリアが打ったサーブはプロでも受け止めるのが難しいのではないかと思うぐらいにボールがゆらゆらと大きく揺れながらの無回転弾丸サーブを放った。
予想もしていなかった威力のあるサーブを受け止めきれなかった相手チームの選手が、恐怖心からくるものなのか咄嗟に叫んでしまうほどに……。
「赤坂さん、ナイッシュー!」
黒崎が褒め称える。同じチームの選手は呆気らんと棒立ちしているなかでの黒崎の声はこちら側にもはっきりと聞こえてきた。
アリアはそれに広角を上げながら頷き返す。
コンディションが整っているのか、アリアは最終的に、5本連続のサービスエースを決め、チームを完勝へと導いた。
「すごいわ、赤坂さん。まさか一人で勝利へと導いちゃうなんて」
「いえ、まぐれが続いただけよ」
「ううん、そんなことありません。もしかして、経験者?」
「ええ、まぁ。中学まで気晴らし程度にね。何かスポーツをやっておこうと思って。といっても、ママさんバレーだけど」
「へ〜、それは知らなかったです〜。ママさんバレーですか。いつからやっているのですか?」
「えっと……小学1年生からよ」
「じゃあ、かれこれ9年間はやっているんだ? そりゃあ上手いわけだ〜」
黒崎がこれまでとは違う異質な雰囲気を纏いはじめる。それは今朝俺が話した黒崎とは違くて、どこか別人のようだった。口調もまるで違う。
「次の試合、今度は私にサーブをやらせて?」
黒崎がアリアからボールを奪う。その時の黒崎の顔には、挑発のような笑みが浮かんでいた。
アリア達が勝利し、続けて2試合目。
黒崎はアリアと同じくボールを3回ほどバウンドさせた後に、サーブの構えを取る。ここまではアリアと同じ。
しかし、次の行動からはアリアと全く違う動きを取り始める。
黒崎はボールを下から上へと高く払い上げ、助走をつけ始めたのだ。
その動きは誰もが一度は見たことあるだろう。
「えっ?」
ジャンプサーブだ。
助走を生かして高く跳んだ黒崎は、打点の高い位置でボールをとらえ、相手コートへと放つ。
さすがはジャンプサーブ。アリアの放つサーブとは桁違いの威力だ。ボールはネットすれすれの所で通過していき、相手選手の間に見事着弾された。
相手は一歩も反応することが出来ず、気付けば点を取られていたことだけを実感する。
ボールは強くバウンドしていき、壁に当たって黒崎の方へと帰ってきた。
「ふふん♪」
本人も手応えが十分だったのか、満足そうに微笑む。そして、その笑みはアリアの方へと向けられる。まるで、自分が勝利したかのように。
「……黒崎さん。あなたも……」
「ううん、それは違うよ、赤坂さん。うちはバレーボール経験者なんかじゃない。さっきのサーブだって、今日が初めてだよ」
「!?」
アリアが目を見開いて驚く。それは俺も同じだった。
黒崎が打って見せたジャンプサーブは、お手本として採用されるほどに美しく、完璧なフォームだった。素人でもそう感じさせるほどに。実際、放たれたサーブは申し分ないほどに強烈で、全てのタイミングが合わさらないと到底出来ないレベルのものであった。まぐれにしては出来すぎだ。
そんな凄技を披露しておきながらも、それが今日初めて打ったなんて言われたら、誰だって驚くことだろう。でも黒崎は冗談でも嘘でもなく、本心で言っているかのようだった。
「驚いた? うちは頭の中にあるイメージでなんとなく出来ちゃう才能があるみたいなの」
……は? 嘘だろ? そんなことあんのかよ。チートにも程があるだろ。なに? 異世界転生者なの?
だが聞いたこともある。世界人口の数パーセントの確率で、人間とは思えない天才が存在することも。
それこそ、相手の動きを一度見ただけで完全コピーできたりとか、一度音を聞いただけで演奏ができるとか、一度教科書を読んだだけで全て暗記できるとか。
そういった一般的に不可能と言われることを平気で成し遂げてしまう天才というものは、世界のあちこちに存在しているというのも紛れもない事実なのだ。
黒崎は、その世界人口の数パーセントに選ばれた天才なのだった。
彼女にその自覚がなくとも、誰もが認めざるを得ないほどに。
結局2試合目も、黒崎の強烈なジャンプサーブで終える結果となった。
アリアと同じ結末なのにサーブの威力が桁違い過ぎて、どうしても黒崎の方が輝いて映ってしまう。
ママさんバレーで9年間培ってきたアリアのサーブも中々のものだったと思う。けど、どうしても黒崎の前では、そのサーブも霞んで見えてしまう……。
「赤坂さん。もし実力を隠しているなら、今ここで本気を見せて欲しいな〜。9年間の実力がどれほどのものなのか……」
「…………」
明らかな挑発に、アリアは。
「ええ、いいわ。やってあげようじゃない」
乗った。
「おぉ〜。それは楽しみだな〜」
闘争心が燃え始める二人。心なしか、メラメラと燃え上がる豪炎が背景に映っている。お互い負けず嫌いな性格なのだろう。
誰も踏み入れることの出来ないATフィールドが炎となって彼女らを包み込んでいる。同じチームの選手でさえも、二人の放つ威圧に近づけないでいる。まぁ、目の前に龍と虎がいたら近づきたくないよな……。
「あ、あの……っ!」
「ん?」
アリアと黒崎、二人の姿に目を奪われていた俺に、一人の少年が声をかけてきた。
「次、僕たちの番だよ……?」
「え、おおっ、そうか。すまん。今行く」
二人の成り行きを見届けたい気持ちでいっぱいの俺だったが、そうこうしているうちに俺達の試合の番が回ってきてしまったらしい。
本当なら俺に構わず先に行ってくれ、と死亡フラグ満載のセリフを返してやりたいところではあるが、チーム戦である以上、それは認められない。
しょうがねぇ、やるか〜っとため息をつきながらだるそうに腰をあげようとする俺。そんな俺に女の子と見間違えそうなほどに小さく、柔らかそうな手が差し伸べられる。
「一緒に、頑張ろうねっ」
緊張しているのか、表情にぎこちない笑みを浮かべる小柄な少年は……えっ、この子、男の子だよね? 女の子じゃないよね? と勘違いしそうになるほど、女の子らしい容姿をしていた。なんなら女性と言われたら信じてしまうほどに。
なんだか経験したことのない言葉では言い表せない何かが、俺の中で目覚めようとしている。心が、高揚し始める。
よっしゃアアアアアアアアア!! やるかああああああああああああッッッ!!
★
事件は試合中に起こった。点数は0対0。
ポジションはどこに着こうが決まっておらず、周りの配置からみて、俺はとりあえず空いていたフロントライトに着くことに。
敵のサーブを味方選手が見事レシーブし、浮き上がったボールをスパイクに繋げるために近くにいた選手がボールを前衛に向かって打ち上げる。
不幸かな、ボールは俺の方へと飛んできた。
せっかく繋げてくれたボールをテキトーに返すのはスポーツマンとして、いや、人間として失礼にあたると思い、俺は助走の構えを取り、本気で跳び、本気で打ち返そうとした。
しかし跳ぶ瞬間、上半身の骨が軋むように激痛が走った。
「ぐぅッッ!?」
跳ぶことを許してくれない激痛。俺は両手であばらの骨を覆うようにしてうずくまってしまう。
ボールは俺のわきに着弾し、バウンドしながら女子コートへと転がっていった。
一人の女性生徒がそれに気づき、『危ない!』とコート内選手に注意を呼び掛ける。向こうのコートにいた女子生徒もボールから男子コートへと一度視線が向けられる。
「林くん!?」
誰よりも早く心配の声を発してくれたのはアリアだった。
そして、誰よりも早く動いてくれたのは意外にも黒崎だった。
黒崎は試合中であるのにも関わらず、俺のそばへと駆け寄ってくれた。それに続いて、すぐにアリアもきてくれる。
「林くん、大丈夫ですか?」
「あぁ……なん、とか––––––グッ!」
「無理をしないでください。一度、保健室へ向かいましょう。ゆっくりでかまわないです。立てますか?」
呼吸を忘れてしまうほど激痛に耐えている俺を、黒崎は慌てることなく、冷静に対処する。
今は喋るとあばらに響くので、俺は喋らずにゆっくりと立ち上がった。
猫背になりながらも立ち上がることに成功した俺。
黒崎はそっと俺の背中に手を添え、体育の先生に一言だけ告げる。
「先生、今から林くんを保健室へと連れて行きます。よろしいでしょうか?」
「ああ。頼む!」
体育館を出る前に、黒崎はアリアへ向かって言う。
「赤坂さん、あとは頼みましたよ」
「あっ……えぇ、分かったわ」
「そんなに気にしなくて大丈夫です。これも学級委員としての責務ですから」
こうして、俺と黒崎は保健室へと向かった。
アリアのチームは急遽5人になってしまったが、連勝している実績があるので、ハンデを駆使した状態でそのまま試合を続行することになった。
そしてこの後に続く試合全てのサーブを、アリアはジャンプサーブに変更するのだが、全てネットに吸い込まれるのであった。
★
保健室に無事着いた俺達は、白衣を身にまとった保健の先生(イケメン風セクシーナイスボディ女)に事情を説明した。
佐藤先輩に痛めつけられたことは伏せておき、あくまでもどういう時に痛むのかだけを伝えた。体を伸ばそうとすると激痛が走るのだと。
保健の先生は少しだけ顎に手を添え考える素振りを見せたのち、一度体の状態を確かめたいからと服をめくってくれと言われた。
俺は流れに従って思わず言う通りにして服をめくり、腹部をあらわにしたのだが、後に自分の犯した誤ちを責めることとなる。
「ッ! ……なんだ、このひどいアザは……っ!」
得体の知れない物体を見るかのように驚く保健の先生。若干引いているとも言えるその青ざめた顔に俺は疑問を持つのだが、先生の視線の先に目を向けてみれば……。
(し、しまったアアアアアアアアア!!)
佐藤先輩の件は伏せておいたのに、これじゃあ暴露しているようなものじゃないか! でも落ち着け、落ち着くんだ……。これだけじゃ誰がやったなんて分からない。テキトーに誤魔化しておけば大丈夫!
保健の先生は真剣な眼差しで俺に問う。
「えーっと、林って言ったな。このアザはどうした?」
「えっ、あ、いや、これは……そのぉ……」
「これだけ大きなアザが複数箇所……おおかた、誰かに痛めつけられたといったところだろう。––––––言え。誰にやられた?」
(怖い怖いッ!! なにこの先生! すげぇ圧がハンパないんだけどぉぉぉ!?)
まるで番長でもやっているかのような鋭い眼光と虎の威を感じさせる迫力満載の保健の先生に、俺はたじろいでしまう。正直に名前を言ってしまえば、今すぐにでも狩りに行きそうな勢いだ。
それでも男同士で交わした約束を破るわけにはいかない。俺は思いつきでその場をやり過ごそうとする。
「ち、違いますよー! これはですね、兄妹喧嘩です。兄妹喧嘩!」
「兄妹喧嘩だと……?」
「そ、そうです! 昨日実は、妹とちょっと喧嘩してしまいましてね〜、あははっ……」
「ちょっとだと? このアザがちょっとで済むとは思えないがな」
ねぇ怖いこの先生!! めっちゃ食い付いてくるやん!! 完全に疑われてるやんオレ〜!!
明らかに疑いの目を向けられているが、言い出してしまった以上、取り下げるわけにはいかない。なんとしてでもやり通さなければ!(使命感)
「いや〜、俺の妹ってば、マジギレすると止まらなくてですねー! 妹が楽しみにしていたドーナツを勝手に食べただけで、まさかここまで怒るなんて思わなかったですよー! ハハハ!」
ごめんよ、妹。今度ドーナツ買ってあげるから許して!
「……ふむ。もしかして、お前さんの妹は喧嘩慣れでもしているのか?」
「へ?」
「これだけのアザだというのに、どれもピンポイントで急所を射抜いている。喧嘩するうえでは十分な攻撃要素といえよう」
専門家みたいに解説し始めるこの先生を見てほぼ確信した。
(この先生、絶対過去に喧嘩しまくっていただろ!!)
でなきゃ、こんな経験者じみた言動をするわけない。喧嘩番長をやっていた線は、案外外れていない可能性が出てきた。
だが言っておきたいのが、俺の妹は誰かと喧嘩をするような野蛮人間ではない。
確かに喧嘩には活かせそうな空手と合気道は幼い頃から今でも習い続けているものの、それは単に興味があったから習い始めただけで、結果的に楽しいから今も習い続けているだけということ。そこに他意ない。それに、俺と妹は喧嘩をするようなことはほとんどなく、どちらかというと仲の良い兄妹だと自負している。妹が友達を家に連れてきた時とか、両親が知人を連れてきた時とかに、よく仲の良い兄妹だね! って言われるし。(お世辞で言っているような感じじゃなかった)
だからこそ、こうして言い逃れするために妹を出汁に使うのは心が痛んでしまうわけで……。
「いや、うちの妹は喧嘩なんてしません。むしろ平和愛好者です!」
「そんな奴がアザになるまで痛めつけるとは思えんがな」
左様で……。墓穴を掘ってしまったな。もうこうなったら無理やり話を終わらせるか。うん、それがいい。
「まぁとにかく、そんなに心配しないでください。少しの間安静にしていればいずれ治ることですので」
「……そうか。とりあえず、応急処置として湿布ぐらいは貼っておこう。それでいいな?」
「はい。ありがとうございます」
先生は慣れた手つきでアザのある箇所に湿布を貼っていった。計9枚の湿布が貼られたのだから、相当にダメージを負っていたのだろう。自分では見えない背中の部分だけでも5枚貼られた。
「ひとまず安静第一にしろ。体を動かすのは禁止だ。体育もしばらくは休め。事情はアタイの方から伝えておく」
おーい、今『アタイ』って言ったか? 言ったよな!? もう絶対喧嘩番長やってたよこの人!!
先生は保健室内に置かれているベッドを指差し、安静にしていろと命令を下す。変に逆らうのも怖いので、俺はおずおずとベッドの方へと歩き、シューズを脱いでベッドの中に潜り込んだ。
「……お前はどうしたんだ?」
先生が黒崎に向けて言う。
「いえ、私はただ彼をここに連れてきただけで、どこも怪我などしておりません。なので、お気になさらず」
「そうか。アタイは今から職員室に用事があるから留守にするが、用が済んだら授業に戻るようにな」
「はい。分かりました」
先生は部屋を退室し、俺と黒崎だけの空間となる。
静かな空間に男女だけの密室とはこうも居心地が悪いものなのかと初めて実感。
黒崎は俺が寝ているベッドのそばに椅子を持ってきて、綺麗なたたずまいで座り出した。
「……どうした? もう俺は大丈夫だ。ありがとな。お前も早く授業に戻った方が」
「さっきのアザ、どうしたのですか?」
黒崎はさっきの会話を聞いていなかったのだろうか。
「いやだから、妹と喧嘩をしてだな」
「佐藤先輩にやられたとかじゃなくて?」
「ッ!?」
「あっははッ! なにその顔! めっちゃいいリアクションするね〜!」
突然お腹を抱えながら笑い出す黒崎。
俺は夢でも見ているのだろうか。目の前にいる黒崎は、俺が知っている黒崎ではなく、まるで悪魔に取り憑かれたかのように言動と振る舞いが別人だった。
そんな黒崎に度肝を抜かれている俺だったが、それよりも気になる点について問いただしていた。
「なんで……それを知っている?」
「なんでって、それ聞く必要ある? 現場を目撃していたからに決まってるじゃん」
「なにっ?」
「いや、元々は私が仕組んだことなんだけどね」
「……は?」
「フフッ」
何から何まで理解できず、左も右も分からない暗闇の中を歩いているような錯覚に陥る。
思考もフリーズしていて、俺は一体誰と何の話をしているのかさせ疑問に思ってしまう。
「気になるよね? なんで私がそんなことをしたのか」
「……」
「いいよ、ちょっとだけ教えてあげる。今はこうして二人きりだもんね」
黒崎はもう一度座り直してから話し出す。
「私と赤坂さんはね、同じ中学なんだ」
「!」
「クラスは一度も一緒になったことはないんだけどね。でもあの頃は赤坂さんの噂が嫌でも耳に入ってきたから、自ずと気になるようになったっけなぁ」
思い出を振り返るように、黒崎は語る。
「噂ってのは……?」
「そうか。林くんは知らないもんね。赤坂さんは小学4年生から中学3年生までいじめられていたんだよ」
やっぱり、そうだったのかと胸が痛む。アリアの言っていることが嘘であってほしかった、作り話であってほしかったと願っていた部分もあった。が、同じ中学出身である黒崎も同じことを言うのだから偽りのない事実なのだろう。
続きを話す黒崎だが、どれもこれもアリアの言っていたことと全く同じだった。
小学生の時にアリアが陰で他人の悪口を言ったことで起こったいじめが、中学にまで影響をしたということが。
だが、ここから話す内容は俺の知るはずもない黒崎とアリアの関係による話しだった。
「ちょっと自慢になっちゃうんだけど、私ね、大抵のことはなんでもすぐに習得できちゃうんだ。勉強は授業中に覚えちゃうし、スポーツは動きを見れば真似できちゃう。みんなが苦戦するところを難なくこなしちゃう……そんな才能がね」
それはさっき、体育館でも話していたジャンプサーブの件と同じような内容だった。
最初は挑発するためにセリフを投げていたのかと思っていたが、真剣の眼差しで話す黒崎の顔には、嘘や偽りの色は感じ取れなかった。
それは自惚れや自慢以前に、事実を告げているかのようだ。
「小学校から勉強は常に一位だったし、スポーツだって女子の中では一位だった。さすがに男子のトップには勝てなかったけどね」
そもそも、女子が平然と男子のトップに張り合える前提がすごい話しなのだが……。
男子と女子では遺伝的要素、つまり体格や筋肉量といった差もあるので運動能力に関してはハンデが大きい。そんなハンデを負ってでも、トップと張り合える黒崎の身体能力はさすがとしか言いようがない。話を聞いて、さっきの強烈なジャンプサーブが放てたことにも納得がいく。
「でも、どうしても勝てなかった人が、女子のなかで一人だけいたんだよ」
少しだけ悔しそうに瞳を伏せる黒崎。勉強、運動共にトップの成績を誇っていた彼女が、どうしても勝てない? さっきの話では勉強もスポーツも一位だと言っていたではないか。誰にも負けていないじゃないか。一体……誰に、何で勝てなかったというのか。
「恋愛では……赤坂さんには勝てなかった」
俺は呆気らんとしていたと思う。ここまで勉強、スポーツといった学校の成績に反映され、客観的に点数を競い合える何かの類だとは予想をしていたが、まさかの恋愛だったとは。
「どういうことだよ……?」
「……ごめん、話しはここまで。うちは授業に戻るから、安静にしていなね。副学級委員くん」
「……」
そう言って、黒崎は速い足取りで保健室を出る。
保健室内には消毒液の臭いと、黒崎のフローラルな香りだけが残った。
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