自分と母

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「はい! やめ! 試験官が解答用紙を回収しますので、解答用紙に記入するのはやめてください。不正が発覚次第、対象の受験生は失格とします」  壇上に立った試験官がそういうと、俺は手に持っていたえんぴつを机の上に転がした。  カランと机上で気の抜けた音を立てると、受験票の上で止まる。  「はあ…終わった…」  七三に髪をキレイに分けた、壮年の試験官が一枚一枚、丁寧に前の方から解答用紙を回収していき、「はい! では…」と壇上に立つ試験官がマニュアル通りの言葉を淡々と述べていたが、俺の耳には入ってこなかった。  これで試験に受かれば、来年にはあの家を出られる。  もう母の顔を見なくて済むんだ。  そう思うと、心の中に溜まった暗い淀みがなくなっていくように感じた。  相変わらず腹の底を濃くした嫌な雲が空を隠していたが、もう雨は降っていない。  カバンを持って足早に受験会場を後にすると、俺は駅へと足を運ぶ。  友達のヨウタにLINEを送ろうと思い、ポケットからスマホを出すと、昼頃に母からLINEにメッセージが届いていた。 『今日は本当に迎えに行かなくていいの?』  俺は舌打ちをして、スマホをポケットに戻す。  母からの着信やこういったメッセージが届くと、虫唾が走って、苛立ちをどうしても抑えられない。 「はあ…」  俺は足を止めて、どんより曇った空を見上げた。  今の俺は母のことを親とは思っていない。いつからか俺はそんなふうに思うようになっていたのだ。  母から手をあげられたことなどない。無論、子を愛せないからと育児放棄のようなこともなかった。  だが…今の俺はどうしても母をあかの他人としてでしか思えないのだ。  どうしてしまったのだろうか。いつもならこんなことを考えないのに。試験に受かれば、来年には家を出られることが脳裏をよぎったからだろうか。  そう思うと、過去のことを思い返した。  自分の記憶の抽斗を開けて、過去を辿っていく。それは封印した思い出したくない過去のアルバムのようなもの。  高校に入学する時に、母と今の義父が再婚することに猛反対して、喧嘩になった時からか。あの時は俺には何の相談もなかった。二人の間に俺の意見なんて関係なかっただろう。もうすでに二人の間では、決まっていたことだったのだから。  中2の時に、母が俺に父と住んでいた思い出の家を突然売ると言い出した時だったか。あの時は本当にびっくりした。母がなぜ何も言わずにあの時家を売ると言い出したのか本当にわからなかった。  いや…。  俺は目を瞑ってそれ以前の過去を思い返した。それ以前の過去を。母と共に歩んできたこれまでの嫌な思い出は頭の中で渦を巻き、より一層不快にさせていった。  だが その深みに近づけば近づくほどに、答えはそこにあった。  小学校4年の時に父が事故で死んだ時。  そうだ。その時からだ。  俺が母のことを嫌いになったのは。
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