ケース🔟 前世来世

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そこで修治が、厳しい顔で言う。 「甘い。だから、お前は甘いんだよ。考えが甘い。人生経験が足らないから現実を知らない事と、一流の大学に行って、もっと勉強しろ。」 床にうずくまった貴志が、修治を見上げながら返した。 「俺が描く、こんな家族・・。みんなが元気で、一緒に暮らす・・・。そんな願いは、ダメな事なの?」 この話をすぐに払拭してしまうかのように、修治が言い返す。 「ダメだよ。理想と現実があるんだ。お前はまだ、知らないだけだ。」 「・・・そうなのかな。本当に、そうなのかな。本当の幸せって、どこか遠くにあったり、夢のような世界なんかじゃなくて、実は手の届くすぐ傍にあるんじゃないかな。」 そこで、修治は大きな溜息をついた。 「ハァッ。もういい。お前が理解するには、あと10年・・いや、20年ぐらいかかりそうだ。俺は今日も忙しいから、もう研究所に戻るぞ。」 「あっ、父さん。待って・・。」 すぐに貴志が呼び止めたが、その声は虚しくかき消されていった。 立ち去っていく父・修治の背中には、届かなかったのだ。 「父さん・・・。」 絶望感の中、貴志はゆっくりと立ち上がり、涙を拭う。 そうして何事もなかったかのように、廊下を少し進み、母のいる治療室へと入るのだった。 治療室内では、2名の看護師が業務中である。 その奥側にあるベッドでは、叶恵が床頭台に飾られた花籠を眺めていた。 「母さん・・。」 貴志が声をかけると、叶恵が気が付き笑顔をみせる。 「貴志。たった今ね、お父さんが来ていたよ。会わなかった?」 「ああ・・うん。会ったよ。もう帰ったみたいだけど。」 話しかけながら、貴志が叶恵の様子を見てみると、どこかいつもより顔色が良くて、元気そうに見えた。 すぐに話題を変えて、貴志が尋ねる。 「それより、母さん。調子はどう?」 叶恵は、2、3度浅い呼吸をしてから答えた。 「うん。・・何だか今日は、少し調子イイみたい。」 「そうか・・。それなら良かった。」 「そこの、鬼切さんが持ってきてくれた花籠も綺麗で・・。いつも見てるのよ。」 「そうなんだ。・・この花、本当に綺麗だよね。」 親子で会話していると、出入口のドアが開き、白いドクターコートを羽織った担当医が入室してきた。 「こんにちは。秋原さん。お、息子さんも来ているなら、ちょうど良かった。」 貴志と叶恵も挨拶を返す。 ベッドサイドに来た担当医が、更に話しかけてきた。 「秋原さん。どうですか? 調子の方は?」 その問いかけに、叶恵はまた笑顔で返す。
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