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その奥に、倉庫程の巨大な冷凍室が構えていたが、突然その重そうな扉が音とともに開いたかと思うと、中から白い冷気に紛《まぎ》れて一人の中年男性が出てくる。
中年男性は、横長の四角いケースを二つ重ねたまま抱えて、それをまな板の上へと運んだ。
「おう! 誠、来たか! 遅いぞ!」
誠に気がついた中年男性は、静まり返った冷たい空間に、火を灯すような声で張り上げる。
この中年男性こそが、何の経験もなく社会人になった誠を雇ってくれた店長であった。
「あ、店長。おはようございます。」
店長は年齢50歳代ぐらいで、黒髪にオールバックの髪型をし、一際《ひときわ》特徴的だったのは、ギョロっとした胡桃《くるみ》程の大きな目である。
入職時すぐに誠は、店長が金目鯛に似ている事に気が付き、心の中で『金目鯛』と呼んでいた。
『金目鯛』とは、別名キンメと呼ばれ、金目「鯛」と言われているが、「マダイ」などの仲間で『タイ科』はまったく別種の魚である。
その特徴は、魚屋やスーパーの鮮魚店で見かける、ひときわ目を引く鮮やかな赤い魚で、それはまるで大きな金魚といった感じだ。しかしこれは死後変色した状態で、生きて海底を泳いでいる時はマダイのような桜色である。
また、キンメダイという名前の由来は、この魚の大きな目の玉が光の加減で金色に見える事からそう呼ばれている。
そんな金目鯛が、まな板の前に立ち、黒い防水エプロンを付けて仕事しているのだ。
もちろん、誠自身は『金目鯛』だなんて、店長本人に言った事は一度もない。
そんな事を言おうものなら、まな板の上にある包丁が飛んできそうだ。
するとそこへ、店の表の準備を終えた、もう一人の体格のがっしりとした中年男性が入ってきて、黒い防水エプロンを付けながら言った。
「誠。おはよう〜。今日も、しっかり働いてくれよ〜。」
体が大きく太い声で、坊主頭。しかも特徴的なのは、眉毛が海苔のように黒く太い。
この中年男性は年齢50歳代後半ぐらいで、同じ従業員だが、そのキャリアーは長かった。
誠は、この中年男性の事を、その見た目通りに『西郷《さいごう》さん』と呼んでいる。
まさに、あの歴史的に有名な『西郷隆盛』にそっくりなのだ。
そこでまた、金目鯛店長の怒号が飛んでくる。
「誠! グズグズしないで、早く仕事を始めろ! 今日は、売り出し日だから、忙しくなるぞ!」
「あ、はい。」
誠も、まるで尻尾を踏まれた犬のように、慌てて動きはじめロッカーへと荷物を入れて、すぐに防水エプロンを着用した。
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