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この寒い時期ではあるが、魚は新鮮さが重要なので、生で販売する商品は少しでも温めるわけにはいかない。
ましてや、お湯などは使用出来ず、氷を溶かすにも水を使って溶かしていくしかないのだ。
そんな細かい配慮の仕事を、誠は社会人になって体験させられている。
実際にこうして魚屋に勤めるまで誠は、トレイに入り綺麗にラップされ出来上がった刺身や魚しか目にする機会がなかった。
しかしその舞台裏では、こんな早朝から、しかも寒い環境に関わらず、商品となる魚をより良く販売する為に見えない苦労がある事を、身をもって知る事になる。
やがて日が沈み暗くなった頃、バイクの音とともに、誠がアパートへ帰ってきた。
すっかり疲れ切った様子で玄関から入ってきた誠を、妻の久美子が出迎える。
「誠。おかえりなさい。」
元々の無愛想も手伝ってか、疲労のせいで一言だけ、誠は返事した。
「ああ。」
台所で夕食を作っていた久美子が、どちらかの選択肢を尋ねる前に、誠はもう脱衣所で衣類を脱ぎ、風呂場へと入っていく。
仕事の疲労と、魚介類の臭いや体に付いた鱗を落とす為と、何よりも冷え切った体を早々に温めたかったのだ。
40分程して、ようやく風呂から上がってきた誠だったが、居間のテーブルに並んだ夕食を見て愕然とする。
「えっ〜⁈ もしかして、晩飯はカレイの魚⁈」
「そうよ。今日は、カレイが特売日で安かったのよ。贅沢な夕食ばかり食べられないから、節約しないとね。」
もっともらしく説明する久美子の話しは、誠の耳には入ってこなかった。
「肉が食いて〜。」
愚痴をこぼす誠。
「文句言わないで。次の給料日に、焼肉するから。」
久美子にそう諭されて、仕方なく箸を持つ誠。
ご飯を食べようとした時、また久美子が話しかけてきた。
「あっ、そうそう。思い出した! 夕食食べた後でいいから、トイレの電球切れてるから変えてよ。私、背が低いから椅子に上がっても、天井まで届かなくて。」
「・・・分かったよ。」
「本当に、背が低いのは困るわ。もし今度生まれ変わったら、背が高く生まれたい。」
そう言いながら、久美子も夕食をはじめる。
誠と久美子は、まだ若い夫婦だったが、それでもお互いを思いやり、なんとか仲良く生活していた。
夜10時過ぎ。
電気を消して、布団に入る二人。
真っ暗な夜。
静かな周辺の町並み。
遠くで、列車の走る音が聞こえる。
道路を走っていくバイクがあった。
「・・ねえ。明日も、仕事?」
布団の中で並んだ久美子が、ふと尋ねると、鈍い声の誠がやっと返事をする。
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