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「あ? ・・ああ。明日も朝、早いんだ・・。」
それを聞いた後、少し沈黙が続いたが、再び久美子が投げかけた。
「あのさ。今度の休みの日。一緒に出かけようと思うんだけど。」
しかし、いつまで待っても誠の返答はなく、ただ聞こえてくるのは、すっかり眠りについたイビキだけだった。
翌朝。
前日よりも、凍てつく寒さが身にしみる気温だったが、いつものように鮮魚店に出勤している誠の姿があった。
それは、苦手でまだ経験不足であるが、必死にしがみついていこうという誠の真剣さが伝わってくる。
賑やかな商店街から少し離れた所にある、この鮮魚店は、小さな河川に近い裏通りに面した一角に構えていた。
軋《きし》みかけたような平屋の建物が、築100年以上の重みを乗せて、堂々と存在感を見せている、そんな鮮魚店が誠の職場である。
その表の販売コーナーには、見事にズラリと魚介類が並べられ、開店とともに、どこからともなくお客が次々と訪れてくるのだ。
誠は、開店前の店舗準備や魚の調理などをもちろんこなしたが、開店した後は販売コーナーで商品の並べ替えや追加、お客への対応もしていく。
「は〜い! いらっしゃ〜い! 今日も新鮮な魚が入ってるよ〜!」
金目鯛店長が、近隣の家々に聞こえる程の大声で叫んだ。
その傍では、西郷さんオジサンも太い包丁を巧みに動かし、まな板の魚を調理していく。
右往左往に走り回る誠は、つい濡れた床で滑りそうになった。
「誠! 足元、気をつけろよ!」
見逃さず見ていた金目鯛店長が、注意を促す。
そんな中、店内には7、8名程の客がひしめき合い、各々が買い求める魚を品定めしていた。
ふとそのうちに、いつの間にか訪れた、ある母娘の親子が、他者と同じように買い物に来ている姿がある。
母親の方は40歳代後半ぐらいで、顎の下辺りまで伸びたソバージュのかかった黒髪だった。
その服装や格好は周囲の客とは違い、一風変わった黒服とローブに身を包んでいる。
娘の方は20歳代半ばで、色白の清楚な印象を受けたが、その格好はまるで性格を表しているかのように、母親とは正反対に目立たない地味な服装をしていた。
その娘の方は、遠慮気味に母親の傍に寄り添い、どうやら付き添いで来たような雰囲気である。
母親は色白であったが、何よりも印象的なのはその眼光で、瞬きもない視線で、並んだ魚を見渡していた。
その時、その場に居合わせた他の客が気がついて母親の方に声をかける。
「あっ、蓮浄《れんじょう》さん。お久しぶりですね。」
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