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「仕事を続けるのはダメなんだよね……」
「ダメだよ。成美の負担が大きくなるから。別に生活費は出すし、仕事を辞めて家事と育児だけに専念してくれるならいいけど。でも社会との隔たりができると孤独を感じやすくなるだろうし、だからパートくらいがちょうどいいと思うけど?」
柊斗はそう言いながら食事を続けた。一般的に考えれば夫のこんな言葉に喜ばない妻などいないだろう。育児をする環境を整えてくれると言っているのだ。
ただ、成美には手放しで喜べない理由がある。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ……」
「うん」
「柊斗、独立したいって言ってたじゃない?」
成美は箸を握る手に力を込めた。柊斗は税理士として働き始め、10年以上が経った。そろそろ自分で事務所を構えることも考えていると1年程前から相談されていた。
やりたい仕事を文句も言わずにさせてくれた柊斗の夢。成美もそれを応援したいと思った。だからこっそり自分の貯金とは別に柊斗の独立資金を貯めていたのだ。
1週間前にインターネット口座を見た時、独身時代からの貯金も一部移動させた口座に、300万円はあるのを確認している。独立にどれほどの金がかかるかわからないが、少しでも柊斗の力になりたいと思っていたのだ。
1からのスタートとなれば顧客を作るのに時間はかかるし、軌道に乗るまで最低3年は必要かもしれないと浮かない顔をしていた柊斗のことも思い出す。
そうなったら今と同じ生活はやはりできない。成美が仕事を辞めてしまったら、柊斗の独立も延期になるかもしれなかった。
「うん。でも……成美がどうしても子供が欲しいって言うなら仕方ないよな。……俺が諦めればいい話だし」
そう言っては寂しそうに微笑む。そんな顔をされてしまっては、「じゃあ、諦めて」なんてとても言えない。
夢を諦めた柊斗が育児に前向きになるとは思えないし、彼の言い方はまるで成美だけが子供を欲しがっているようだった。
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