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「諦めなくてもいいんじゃない? 私が働きながらだったら両方叶えられるよ。私、家事も育児も頑張れるし、柊斗は自分の夢を追いかけられるし」
「それは俺が嫌だって言ったじゃん。成美ばかりの負担になるのは、夫婦でいる意味がないよ。……もう、こんな時間だ。そろそろ出るよ。ごめんな、答えが出ないままで」
「……ううん」
「すぐに決められることじゃないだろ。夫婦にとって大切なことだから、時間がある時にゆっくり決めよう」
柊斗は優しく微笑むと、空になった茶碗と箸を持ってキッチンへ向かった。茶碗に水を張ると、成美の隣にやってきてそっと頭を撫でた。
「……ありがとう」
「うん。子供はいなくても俺達、上手くやれてるだろ? 他の夫婦なんかよりもよっぽど仲良しだと思うけど?」
柊斗が優しい声色で言えば、成美は頬を緩めて小さく頷いた。
「今日、燃えるゴミの日だったな。俺、ゴミ出しながら行くよ」
柊斗はそう言って、朝1番で成美がまとめたゴミ袋を持った。
「あ……いつもありがとう」
「成美こそ、いつも家事ありがとう。行ってくるな」
「うん」
お互い穏やかな雰囲気の中、成美は柊斗を見送った。
……他の夫婦よりは仲良しか。そうだよね。積極的にゴミ出しもしてくれるし、家事に対してお礼も言ってくれる。いい旦那さんだよね。
贅沢なのかな……。
成美は柊斗のいなくなったダイニングで、1人遅くなった朝食を続けた。
シンクの中を綺麗に片付け、洗濯物を干した成美は夕食の買い物へ出かけた。自分の分だけなら朝食の残り物でいいが、柊斗の分はそうもいかない。
自分が夜勤でいない間、1人で食事をさせるのだから美味しいものを食べてほしいとせめてもの思いだ。
エントランスから外に出ると、初夏の香りがした。緑が増えてきた気がする。爽やかな気持ちで歩いていれば、ご近所さんと目が合った。
「あら、雨宮さん。今日もお綺麗ね」
この時間帯によく会う及川である。見た目は50代半ばの専業主婦。銀行で課長を務めている旦那の自慢話が得意である。
成美は、後髪と同じ長さまで伸ばしたセンター分けの前髪を左耳にかけた。少し明るくしたばかりで赤の入ったストレートのショートボブだ。
切れ長の目は二重の幅が狭く、すっと高く通った鼻筋にキュッとしまった唇。やや上向きに整えられた眉が、美しさを引き立たせている。
少し怖そう、気が強そう。そんなことを言われることもしばしばだが、誰もが認める美人である。
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