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顧客の元から事務所に戻った柊斗は、一旦書類整理をした後、軽く息をついた。少し休憩でもするか、とトイレに行くふりをして事務所を出た。
「おーい、サボり?」
事務所を出た途端に後ろから声がかかる。耳に馴染んだその声に柊斗はふっと頬を緩めた。
「お前もだろ」
そう言って振り向けば、爽やかな風貌の男が歯を見せて笑った。
柊斗の同期である税理士、柏木瑞希は電子タバコを1本取り出すと本体に設置した。
「お前、外でタバコ吸うなよ」
「だからといって事務所で吸っても煙たがられるからねぇ。煙ほとんど出ないのに」
「なに上手いこと言ってんだよ」
柊斗が目を細めれば、瑞希は肩を震わせてクスクスと笑う。男らしさを全面に出したような柊斗とは異なり、甘いマスクでいわゆる王子様顔の瑞希は、柊斗から見ても仕上がっている男に思えた。
柊斗にも引けをとらない整った容姿だが、更に女好きの性格も相まって、女性になら誰に対しても優しい、そんなところが柊斗以上の女性人気を誇る。
「なんか嫌なことでもあったの?」
「顔に出てる?」
「いや……でも、俺レベルになるとわかるのよ」
瑞希は笑いながら柊斗の隣に並んだ。
「朝から嫁がうるさくてな……」
「なに、喧嘩?」
「いや、喧嘩にはならないんだけどさ。子供が欲しいって言われて」
「柊斗、子供嫌いじゃん」
「うん。だから、今までなんとか誤魔化してきたけどそろそろ説得するのも苦しいみたいだな」
「あー……」
苦笑した瑞希は、ポリポリと指先で頬を掻く。30メートルほど先には小学生が下校の列を作っているのが見えた。色とりどりのランドセルが眩しく光る。
「素直に子供はいらないって言ったら?」
「今更言えるわけないだろ」
「なんで最初に言っておかなかったのさ」
「それなら結婚しないって言いそうだったから。子供と家族仲良く暮らせたらいいなって思ってるんだって笑顔で言われたらいらないとか言えねぇだろ」
「あぁ。なんだ、柊斗にも良心が残ってたんだ?」
「は?」
顔をしかめた柊斗は、わけがわからないといっように軽く首を傾げた。瑞希はすっと眉を上げ、「なるちゃんのことを考えてってわけでしょ。なるちゃんが傷付くと可哀想だから」と言った。
「お前な……人の妻をなるちゃん呼ばわりすんなって何回も言ってんだろ」
「いいじゃん。なるちゃん、美人だし、年下だし」
「美人関係ねぇし。つーか、理由はそんなんじゃねぇよ。結婚する時に言ったろ? 適当な結婚相手が必要だって」
盛大なため息をついた柊斗に、瑞希はあぁ、と思い出したように目を大きく見開いた。
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