アポカリプスに花一輪

1/8
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ
 もうすぐ夏休み、僕たちぐらいの年齢の子が浮足立ち始めるある日の夜、僕は家をこっそり抜け出して天体観測をしに行った。  お父さんが保管していた古いSFドラマを見せてもらってから、何となく僕の中で宇宙がブームだ。と言っても専門的な天文学について学んだりしているわけではなく、星空を見たり星座の本を読んだりしながら遠い星や宇宙人の存在に思いを馳せるといったものだけれど。  昔の作品では宇宙人は侵略に来るものだったけれど、少し最近の物になるとその行動はさまざまになってくる。地球が好きで住み着いた宇宙人。反対に、地球に嫌気がさして、侵略を辞めて星へ帰ろうとする宇宙人。見たことの無いどこかに、そんな彼らが潜んでいると想像するとわくわくする。  いつも星を見に行くのは、家からそう遠くない、小さな丘の上の公園。日が出ている間は街全体が見渡せ、民家も店も空き家も、知っている建物はぐるりと確認することができる。一人で街の外に行くことがまだ許されていない僕にとって、ここから見える景色が世界のすべて。この公園は町からそんなに離れていない割に、星が奇麗に見える。夜遅く、街の明かりが消え始めれば猶更だ。  周りに見つかったら、夏休みになったらいくらでも時間があるのにわざわざ学校のある間に夜更かしをするなと怒られそうである。でも、今日の星空は今日しか見られない。それに、夏休みになったら同じ目的の子供たちが来るようになって、一人でのんびり星を見る余裕はなくなってしまうかもしれない。そんなわけで望遠鏡を抱えて丘へ続く緩い坂道を登っていた僕の目に、自分ではない影が飛び込んでくる。  先客がいるなんて珍しい。諦めて帰ればよかったのだが、梅雨上げ後の見事な星空が後ろ髪を引いた。駄目押しのように、丘に咲く名前も知らない紫色の花が、僕を引き留めるようにかさかさと揺れる。  あの人も僕と同じように、星空を独り占めしに来たのだろうか。何となくそんな好奇心に駆られた僕は、その後ろ姿を少しだけ観察してみることにした。暗いのである程度近づくまで分からなかったけれど、影は背の高い女の人だった。向こうも天体観測かと思っていたけれど、望遠鏡も星座早見盤も持っていない。手ぶらで立ち尽くしながら、空に向かって何事か呟いている。  聞き取ろうと耳を澄ましてみても、聞こえてくるのは意味がありそうで無いような、理解不能な音の羅列だった。鼻歌でも歌っているのかと思ったけれど、聞こえる限り全く抑揚が無くて、何か資料を読み上げているみたいだ。そんな調子がずっと続いて、もしかしてちょっとおかしな人なんじゃないかと思い始めた。  今日はもう帰ろうか、と諦めかけた僕の耳に、それまで聞き取れなかった言葉の断片が、妙にはっきりとした輪郭をもって飛び込んできた。 「七月、二十五日……そっか、そんなに早いのか……」  七月二十五日。その日に何かあるというのだろうか、僕は一度引き返しかけた足を止めて、次の言葉を待った。 「世界……終わる……星……発つ……」  途切れ途切れに聞こえてきたその内容は、信じ難い物だった。七月二十五日に世界が終わるだって? それまでにこの星を出ていく? 普通なら頭のおかしな人の妄言だと切り捨てるべきなのだろうけれど、何故か僕にはその言葉が妙な真実味を持って迫ってきた。何故と言われるとよく分からない。一切の冗談味の無い声色に引きずられたからだろうか。もしくは、足元の花には目もくれず、長い髪を揺らして満天の星に向かい合うすらりとした背中が、映画のワンシーンのように絵になっていたからかもしれない。  その先の言葉を聞き逃すまいと集中していた僕は手元への意識が疎かになり、望遠鏡を取り落とした。静かな夜空に、嫌に重量感のある音が響いた。彼女が、びくりと肩を震わせて振り向く。 「誰っ?」  僕はその顔を見ないまま走り出していた。立ち聞きしていた気まずさももちろんある。でも逃げ出した一番の理由は、彼女が怖かったから。世界の終わりをただ一人知り、地球を捨てて出ていくという選択を簡単に選んでしまえる彼女。お父さんが見せてくれたドラマで、何度も描かれてきたような展開。  あの人は宇宙人かもしれない。  そんな馬鹿げた考えが頭を離れなくて寝坊して、次の日は一時間目に遅刻して叱られた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!