アポカリプスに花一輪

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「その花を知ってる?」  僕は首を横に振った。星座の名前は多少わかるけれど、花の名前はあまり勉強していない。この花は僕にとって、「いつも星を見る丘に咲いている紫の花」でしかなかった。彼女は皮肉っぽく笑って、足元の花を一輪摘んで、握りつぶした。 「お花がかわいそうだよ」 「良いんだよ、こんな私みたいなやつ」  彼女の言葉の真意がわからず、僕は首を傾げる。丘からすっと生えた紫色の花は、確かに彼女のイメージに合っていたけれど。 「ヒメキンギョソウ、なんて日本原産っぽい別名が付いてるけど、外来種なんだって。本当の名前はリナリア」 「詳しいんだね。……外来種ってことは、やっぱりお姉さんは……元々ここの人じゃないの?」  宇宙人だもんね、と僕は思ったけど、流石に口に出すのは遠慮しておいた。 「うん。この花の事は、ここに来たばかりの時、お嬢様が教えてくれたんだ」  お姉さんは手のひらに残った花びらを空に散らして、懐かしそうに目を細めた。 「故郷から出てきて、訳も分からずここにたどり着いた私を彼女が見つけてくれたから、私は今生きていけている」  彼女の瞳は遠い星を見つめたまま。その方向に、彼女の故郷があるのかもしれなかった。 「あの人は、生まれた場所じゃなくても、ここで生きていていいと言ってくれた。外来種の花でも、人の目を楽しませることができるように……それから長い間、二人で暮らしたこの町だけが私の世界だった」  大切な人のいる場所以外は自分の世界たり得ないと、確信を持って言ってしまえる彼女。もしかしたら彼女は、強引に故郷を捨ててお嬢様のもとに来たのかもしれなかった。 「私がここに来た頃……お嬢様がまだ外で遊べるくらいに元気だった頃、二人でこの公園で遊んだんだ。日が暮れるまで遊んで、暗くなったら飽きるまで星を見て……懐かしいな」 「お嬢様の病気、悪いの?」  恐る恐る聞くと、彼女はゆっくりと頷いた。 「本人の希望もあって、可能な限り慣れたこの街で、二人で暮らしていたかったんだけれど」  ふー、と息を吐いたその様子に、嫌なら詳しく話さなくても、と言おうとしたけれど、僕が言葉を紡ぐ前に彼女は勝手にしゃべりだした。 「そのうちに外に出られないほど悪くなって、そんな時に、私の故郷ならお嬢様の体を治せるかもしれないと分かった。移動も負担になるだろうしギリギリまで迷ったのだけれど、ここで少しずつ弱っていくあの人を見ているよりは、治る可能性に賭けたくなった」  一拍置いて、こんなの私の独りよがりなのかもしれないけど、と彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいに呟いた。 「だから今までの世界……お屋敷を出て、お姉さんの故郷に旅立つんだね。その出発の日が、七月二十五日」 「そういうこと」  彼女はようやく星空から目を離して、大きく伸びをした。 「故郷って、ど……」  故郷は何処なんですか、そう聞きそうになって、言葉に詰まった。知っている土地の名前が出てくるのも、知らない土地の名前が出てくるのも怖かった。だから僕は、お姉さんの故郷の名前を聞かない。 「お姉さんの故郷は、どんな所、ですか」 「この街の誰も、名前を知らないような所」  それを聞いてどきりとした。割と何でもインターネットで調べられるこの時代、そんなに狭くはないこの街の、誰も名前を知らない場所なんてあるのだろうか。そう思って僕はもう一つ訊ねた。 「遠いんですか」 「うん、物凄く。だからもうこっちには戻ってこられない」  大体の主要な国には空港があるこの時代、一生戻れない場所なんてあるのだろうか。そう思って僕はまた訊ねた。 「良い所?」 「別に。二人で暮らしたこの街の方がずっと良い。お嬢様を治せるかもしれないこと以外には、良い所と言ったら星空がよく見えることぐらい」 「ここよりも?」 「うん。でも、それだけ」  彼女は笑っているのに悲しそうで、僕は聞きすぎたかな、と思って俯いた。この街を離れることを実感してしまって嫌なのか、何もないという故郷で暮らしていくことが不安なのか。僕には、彼女は故郷を好きになれない自分自身に嫌気がさしているように見えた。その顔を見てしまうと、どうして故郷を離れたのかは、聞く気にならなかった。  だから代わりに顔を上げて、星に向かって叫んだ。 「お嬢様が治りますように!!」  彼女は初めて笑顔以外の表情を見せた。面食らった顔、だ。それが何だか可笑しくて、今度は僕が吹き出しそうになったけど、失礼な気がしてまじめな顔で続ける。 「星に願い事すると叶うんです。だからここよりもっと星がきれいに見える場所なら、絶対治ると思います!!」  ぽかんと僕の目を見つめていた彼女は、声をあげて笑った。ずっと曖昧に微笑んでいる印象だったから、これも初めて見る顔だった。 「あー、久々にお嬢様以外の人とまともに話したから、最後の最後に持ち物が増えちゃった」  そう言って肩を回す彼女は、どう見ても手ぶらだ。 「別に何も増えてないよ」 「手に持てるものだけじゃなくても重いんだよ。人との繋がりって、時間が経つとどんどん重くなるから、旅立つ前にはなるべく知り合いは増やさない方が良いのに」  よく分からなくて首を傾げていると、君にもそのうち分かる日が来る、と肩をポンポン叩かれた。何だか子ども扱いされたような感じがしたけれど、僕は実際子供なのでしょうがないのかもしれなかった。 「でも知り合いって言ったって、僕とお姉さん、お互いの名前も知らないじゃないですか」 「そっか、じゃあギリギリセーフかな」 「むしろお姉さんは、お嬢様のこと、誰かに聞いてほしかったように見えました。その心残りが、お姉さんの荷物。今日僕と話してその荷物を降ろせたんなら、その方が良かったと思います」 「そうかな、じゃあ一応お礼を言っておくよ、荷物置き場君」 「荷物を預かったお代ってわけじゃないけど、旅立ちの日、見送りに行って良いですか」  彼女は少し考えて、ふっと肩の力を抜いて、また笑った。 「見送りたいなら、二十五日、夜の十時にまたここに来て」 「駅とかじゃなくて、ここで良いの?」 「良いよ、来てみればわかるから」  そう言って彼女はまた笑った。よく笑う人だな、と僕はまた思った。二十五日が学校の終業式の日だと気づいたのは、次の日の朝になってからだった。世界と一緒に一学期も終わると思うと、何だか可笑しかった。
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