第十三章「風も海も空も友達」

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第十三章「風も海も空も友達」

 この日、新正栄丸は若狭湾冠島沖を目指していた。  冠島沖は阿能の漁港から30分ばかしで到着する。  しかし、京都宮津、舞鶴、福井小浜の各漁港からも近く、真鯛、ヒラメ、アコウ、鰤といった高級魚が釣れるとあって多くの遊漁船がしのぎを削って、ポイントの争奪戦を繰り広げる人気スポットであった。  四月初旬  やはり、日本海はまだまだ北風が強く吹き、波は荒く高かった。 「おうおう、この寒いのに沢山、来てはるわ!」と  正栄は、冠島沖5キロ地点に船を停泊し、釣りやすいスポットを探索しようと操舵室から顔出した。 「ここで良いわ。おととい、ヒラメが上がった場所や!」と言い、再度、エンジンをかけ、船をゆっくりと方向転換し、船尾を冠島に向けた。  そして、初陣である男に手荒く指示を飛ばした。 「福永はん、錨、降ろしてや!」 「それで良いんですよね?」 「そうそう、それしかないわ!」 「は、はい、はい」  男は船首の先端にロープで固定されていた錨に近づき、ロープを外し、ゆっくりと錨を海に沈めようとした。  すると正栄から早くも激が飛ぶ。 「ゆっくり入れてどないんすんのや!  錨はドブンと放り投げるんやでぇ!」  男は慌てて錨から手を離した。  すると錨は威勢よく海に沈み込み、続いて船上の鎖が「シャリシャリシャリ」と金属音を奏で海中に潜っていた。  鎖が入り込むとそれにロープが続き、やがて、その流れ込みが止まった。  男は急いでロープの弛みを手繰り、それを杭に巻きつけながら、船とロープが直線になるよう、ロープを手繰り寄せた。 「福永はん、それでええよ!」と正栄が叫んだ。  男は最後にロープで輪っかを作り、先端を潜らせ杭にしっかりと結束し、良い方の左脚を杭に押し当て、潜らせた先端のロープを握り、強く強く引っ張り固定した。  正栄は男の慣れた動作を観察していたが、 「こん人、相当、船に乗ってるわ!  身体が覚えてるやんけ!」と改めて感心した。  女は船尾のベンチシートに座り、真っ青な顔で沖を見ていた。  早くも船酔いしたようであった。  正栄は女に叫んだ。 「こっちへ入って横になっときぃ!  あんた、昨夜、寝てへんやろ?」と  女は正栄に言われるがまま、這うように操舵室の隣の休憩室に入り、倒れ込むように横たわった。  女は昨日、親の許可を貰うため一旦京都に帰り、そして、また、朝早く家を出て、午前4時には漁村に戻って来ていた。  正栄の言うとおり、ほとんど寝ていなかった。  正栄は真っ青な顔で横たわる女に毛布を被せてあげ、 「昼過ぎには起こしてあげるさかい、寝ときな。」と言うと、女はこくりと頷いた。  男は操舵室に戻って来て、竿と仕掛けを掴み、船尾に腰掛けた。  正栄は本番さながらマイクを握り、釣りの手順を説明し始めた。 「この時期、まだ海水が低いから、銅付きの仕掛けで底釣りをするよ!  竿はそこの竿置きに入れて、仕掛けを付ける。  餌は撒き餌と付餌のオキアミ  足元にセットする。  準備ができたら、ワシの合図を待つ。  こういう手順やさかい、覚えておいてや!」と  男は大きく頷き、仕掛けのセットに入った。  竿は客用のレンタル竿で、3.6mの80号、リールは道糸6号の両軸リール、道糸にクッションゴムを付け、それに天秤を付ける。 天秤の上部分に餌巻きの籠を付け、天秤の下部分にハリスを付ける。  ハリスは4号の二本針  針の間隔は1mで、枝は40cm  そして、ハリスの1番下に80号の錘をセットする。  男は手慣れた様子で素早く仕掛けを装着し、針に付餌も付け、船長である正栄に準備ができた合図として、OKサインを示した。  正栄はそれを確認し、ソナー(魚群探索機)を見ながら、ゆっくりと錨を引き摺るように船を進めた。  ソナー画面に魚群の赤い塊が現れた。   「福永はん、入れてみて!」と正栄がゴーサインを出した。  男は仕掛けを海に放り投げ、リールのフックをオフにし、糸を出した。 「だいたい、30mで底や!底に着いたら、1mくらい糸を巻いて、しゃくって、餌を出して。そして、ゆっくり底に沈めるんや!」と  正栄はいつも客に言うようにマイクで釣り方を説明した。  男は仕掛けを投入した。  竿先から道糸がスルスルと海に入っていった。  そして、底に錘が着いた合図として竿先がこくりと頷いた。  男は正栄の言うとおり、1mほど糸を巻き、大きく竿をしゃくり籠から撒き餌を出し、その中に付餌のハリスをゆっくりと落とし、また、底を取った。  5分経ったが当たりはなかった。  正栄はマイクで、 「ほな上げて!また、撒き餌を入れ直してや!  4、5回したら食うで!」と指示を出した。  男は慣れた手付きで素早く仕掛けを上げて、餌を詰め直すと、再度、仕掛けを投入した。  3回目  男に当たりが来た。  竿先がピクンピクンと痙攣し、そして、グッと弓なりに曲がった。  男は軽く合わせるとゆっくりゆっくりリールを巻いて行った。 「沖メバルや!」  正栄は竿先の動きから、魚が何であるか分かった。 「振り上げても構わないですか?」と  男が正栄に指示を仰ぐ。 「かまへん、メバルは口が硬いから、バレやせんわ!」と正栄が怒鳴る。  男は海面に姿を現した魚をそのまま、船上に放り投げた。  沖メバル、一つっぱり(20~25cm)の良い型であった。 「福永はん、やるわい!  流石、漁師を目指すだけのことあるわい!」と正栄が男を煽てる。  男は久々の海釣りで、勘が鈍ってないか不安であったが、身体はしっかりと覚えていた。  昼過ぎ、女が船酔いから覚め、やっと竿を握った。  男は既に沖メバル、ガシラなどの底物を20匹は釣り上げていた。 「亜由子、大丈夫かいな?」と正栄はマイクで女に問うた。 「大丈夫!」と女は言った途端、船縁から顔を出し、嘔吐した。 「無理やでぇ!亜由、寝とりなはれ!」と正栄が言うと、  女は袖口で口を拭い、 「大丈夫!」ともう一度誓い、仕掛けを投入した。 「根性あるやん!」と正栄が笑いながら女に言った。  女は虚な目をしながらも竿を握り、海面を睨んでいた。  男が女に言った。 「下を見るな。遠くを見てろ!」と  女は慌てて遠くを見ようとしたが、その瞬間、また、かがみ込み、嘔吐した。 「今日は亜由が撒き餌係や!  福永はん、もう撒き餌は入れんでかまへんよ!」と正栄が大笑いで冗談を飛ばす。  女はきっと正栄を睨んだ。 「おぉ怖ぁ~、ほんま、勝ち気のある子やなぁ~」と正栄は楽しそうに男を見遣った。  男も笑いながら女の背中を指すってあげた。  女は嘔吐をグッと我慢しながら、男に言われたとおり、遠くを見遣った。  その時、  女の竿が「ぎゅーん」と音を立てて、大きく弓なりに曲がった。  そして、その竿先がドンドンと突くように海中に引っ張られて行った。 「ヒラメや!ヒラメが食い付いたでぇ!」と正栄が叫んだ。 「竿を立てろ!」と男も女に叫んだ。  女は渾身の力で竿を立てた。 「巻けるか?」と男が問うた。  女は「うん!」と力強く頷き、その細い腕で「ギリギリ」とリールを巻いた。  すると、また、「ぐぅぐぅぐぅー」と竿が海面に持って行かれ、竿先が海面に潜り込んだ。 「こりゃ、大きいぞ!」と正栄が操舵室から身体半分乗り出し、叫んだ。 「頑張れ!竿を立てろ!」と男が女を励ます。 「うん!」と頷き、女は片足を船縁に掛け、目一杯、竿を立て、そして、かがみ込み、ポンピングでリールを巻いて行った。 「おぉ、亜由もやるやん!ポンピングを知っとるやないか!」と正栄が男に言った。  男もニヤリと笑い、正栄にOKサインを送った。  当たりが来て10分  やっと、道糸が残り10mを示す白色に変わった。 「もう大丈夫!ヒラメは浮かんで来るわい!」と正栄が女を励ます。  男は玉網を握り、ヒラメを掬う準備に入った。  女は最後の力を振り絞り、ポンピングを繰り返した。 「見えた!ヒラメだ!大きいぞ!」と正栄が叫ぶ。 「竿を立てろ!」と男も叫ぶ!  女は「うぅー」と唸りながら竿を立てた。  男がヒラメの下に網を入れ込み、掬い上げた。 「やったぁー」と女がやっと声を上げた。  大物のヒラメで90cmクラスであった。 「相棒!でかした!よく釣ったのぉ!」と  男が女の頭を撫でた。 「亜由子の撒き餌が良かったんとちゃうかぁ!」と正栄が笑い飛ばした。  男は楽しかった。  昔、船釣りをしていた頃、そのものであった。  冗談が飛び交い、賑やかな船上  人も海も風も空も  全てが友達だった。
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