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「はぁ。リビング側ですか……」
俺は黒絵さんのあとに続いて五号室の角を曲がり、一棟と二棟を遮る柵と、五号室の壁の間の細い道に入った。
さっきまで激しかった雨が小降りになってきているようだ。
助かったと思いつつ先を歩く背中を見る。
黒絵さんは部屋の真ん中くらいまで来て足を止めた。
「そのへんです」
ちょっと離れた位置から壁に向かっておずおずと指をさす。
「……すみません」
体を横向きにして、黒絵さんにぶつからないよう移動する。
壁に向かって屈んで調べてみる。耳を近づけてもなんの音もしない。ただ雨上がりの水滴が落ちる音がピチョンと聞こえるだけだ。
「うーん……外からは何も聞こえませんねぇ」
「そうなんですよ」
姿勢を戻した時、後ろから首にふわりと何かを巻きつけられた。黒絵さんがさっきまで首に巻いていたマフラーだ。柔らかくて肌触りがいい。ほんのり温もりのあるマフラーに一瞬ドキッとする。
「寒いところ呼びつけてすみませんでした」
「あ……すみません……。えっと大丈夫ですよ? 黒絵さんの方が寒そうだ」
黒絵さんはニッコリ笑って、マフラーに触れることなく会話を続けた。
「とりあえず、部屋からも聞いてもらえますか?」
「あ、はい……」
黒絵さんのあとに続き、来た道を戻ると、ドアを開けた黒絵さんに「どうぞ」と先に上がるよう促される。
まるで招かれたお客だ。
部屋の中は薄暗かった。
黒絵さんがドアを閉め、なぜか冷蔵庫を開けた。
リビングへ行かないのか? と思って見ていると黒絵さんがこちらを向き言った。
「音はあっちの部屋からです。先に行っといて下さい」
「はい。……じゃ、お邪魔します」
いつも開きっぱなしのリビングへ続く引き戸が、なぜか閉じている。
妙な違和感を覚えつつ、そっと開けると、やっぱり部屋が薄暗い。
ぼやっとしたオレンジ色の光源に目を向けると、シャンパングラスが二つ。
小さな皿とフォークが一人分用意してある。
オレンジの光はキャンドルだった。仏壇にある白いロウソクじゃない。ガラスの器に入ったおしゃれなキャンドルが灯されている。
な、……なんなんだ……これは……
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