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毎月どころじゃない、毎週クレームが来て、なんて厄介な店子なんだと思っていた。
でも……それも、俺に会いたいが為の小さな嘘だと思ったら、急に黒絵さんがいじらしく見えてきた。
トイレが開かないように床に這いつくばり、隙間に詰め物をする姿が頭にフッと浮かぶ。なのに俺が部屋に上がっても好意を見せることが出来ない。
黒江さんはなんて恥ずかしがり屋なんだ。そして俺はかなり鈍感だ。いや、鈍感なのは昔からなんだけど……ここまで好意を見せられてやっと気づくなんて。
胸の中が妙にホカホカする。
人から好かれるのは単純に嬉しい。いや、もしかして黒絵さんがいろんな意味でもっと怖いタイプの男だったら向かい合ってケーキも食べなかっただろう。でも黒絵さんと出会ってもうすぐ八ヶ月。俺は知らない間に黒絵さんを許容範囲として考えてしまっている。
同性なのに、すごく不思議だ。この非日常的な空間も、目の前の黒絵さんも……そそられると言っていい。
ケーキを食べる俺を、黒絵さんが見ている。
綺麗に口角を上げた唇に微笑を浮かべ、優しい目で見つめている。
黒絵さんの瞳は透明度の高いうす茶色だ。キャンドルの灯りが映りこんでキラキラ瞬いてる。吸い込まれそうだと思った。
俺は結局、ジワジワ込み上げる高揚感を感じつつ、ひとりでケーキを平らげた。フォークを皿へ置き、上目遣いで黒絵さんを見返す。
「……あ、あんまり美味しいから、黙々と食べちゃったよ」
「嬉しい。買ってきてよかった」
そう言ってまたシャンパンの入ったグラスを近づける。
俺もグラスを持ち、黒絵さんのグラスへ近づけた。
「ホントにマフラーまで頂いちゃって……」
「そんなに気にしないで下さい。言ったでしょ? 日頃お世話になってるんです。お礼なんてしきれない」
軽く緩やかにふるふると首を振る黒絵さんの頬はうっすらピンク色に染まっていた。照れてるのか。控えめな愛情表現が好ましい。
俺はこういう古風な感じが好きなんだ。
現代の女性がなくしてしまった奥ゆかしさとでも言ったらいいのか。
ガンガン来られるのも、「足りない」と要求されるのも苦手だ。
そうか……だから俺は黒絵さんをそういう目で知らない間に見てしまってた? 無意識とは恐ろしいものだ。でもそれは黒絵さんだからなのかもしれない。黒絵さんはスルリとパーソナルスペースへ入ってくる。思えば最初から。
ギョッとしたのは最初だけで……今はそれが居心地いい。
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