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「じゃ、じゃあ……、あの、良かったら出かけませんか? えっと、く、黒絵さんのお時間があるときに」
もうすぐ十二月。十二月と言えばクリスマスだ。イブじゃなくてもいい。今から予約すればイタリアンレストランで夜景を楽しめる席を取れるだろう。
でも、黒絵さんはキョトンとした表情になり、動きが止まった。代わりにパチパチとマバタキする。心底驚いているみたいだ。てっきりパーッと喜び溢れる笑顔になると思ったのに。
あ、あれ……?
黒絵さんは俺から視線を外し、どことなく寂しげな表情を見せた。よそよそしいとも言える。
「すみません。しばらくは忙しくなりそうで」
「……そうなんだ……」
気まずい空気が流れる。黒絵さんは完全に白けた間に気付いてないように、上目使いでこちらを見た。
「でも、誘ってもらえて嬉しいです」
とってつけたような言葉。嬉しいのにお断りするってないよね。こういうのを『社交辞令』と呼ぶことくらい知っている。
テンションはダダ下がりだった。知らない世界を垣間見て、我を失っていたところに水を掛けられたような気分。
なんてバカなんだ。黒絵さんの行動はシンプルに感謝だけなんだ。それ以上でも以下でもない。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
黒絵さんは静かにワイングラスをテーブルへ置いた。そろそろお開きにしましょう、という合図だと感じた俺は、さらに恥をかかないよう慌てて立ち上がろうとした。
「あっ、……そろそろ帰ります。長居してすみませんでした。ケーキとマフラーありがとうござ……」
床に片手を突いた黒絵さんが体を乗り出す。
……え……
憂いのある表情のまま俺を見つめる瞳。僅かに開いた唇。
何が起こっているのか。
思考停止になったまま、ゆっくり近づいてくる黒絵さんを見つめる。
少し顔を持ち上げ……黒絵さんの視線は俺の目から口元へ下がっていき……次に顔が傾いた。
ふわぁぁ、クるっ!
と思った途端、フワッと石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。黒絵さんの唇が、耳元でそっと動く。
「食べちゃったね」
「え……?」
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