おかしな執事

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おかしな執事

「お仕事中失礼いたします。坊ちゃん。本日のお菓子をお持ち致しました」  どうぞ休息を、という落ち着いた声と共にぎぃ、と音がした。  僕がそちらに意識をやれば、重厚感のある木製の扉──という映像が投影された鉄の扉を、黒のスーツを身にまとったHr-A20211118M……人類型アンドロイド青年期男性タイプ。執事データCランクインストール済み個体……がゆっくりと毛足の長い絨毯の上──という映像が投影された床を、こちらへと歩いてくるところだった。 「ちょうど空になりそうだったんだ。そこに置いてくれるか」 「かしこまりました、坊ちゃん」  なめらかな仕草で、僕の専属執事アンドロイドは慇懃にお辞儀をする。それは一瞬、人間かと見間違えるほどだった。  僕は目をすがめる。 「おい。メンテ不足じゃないのか」 「はて。私のどういった点がメンテナンス不足だと思われましたでしょうか、坊ちゃん」 「それだ、それ。何度言ったら分かるんだ。坊ちゃん、じゃない。いいかげんご主人様と呼べと言っているだろう。ハーム」 「ですが坊ちゃんは、坊ちゃんですので」  目の前のアンドロイドは悪びれる様子もない。黒い手袋で口元を隠したHr-A20211118M……通称ハームは『微笑む』という表情を作っている。 「執事のくせに、生意気な」 「主人によく似ましたので、仕方がありません」 「ふん。お前の主人を、ぜひとも、この目で見てみたいもんだな」  僕は鼻を鳴らしたあと、目をぐるりと回す。  こういうときばかり『主人』と呼ぶのも、どうせこいつのことだから、主人に似たとでも言うのだろう。 「さて。坊ちゃん。お戯れもこの辺で。……本日のデータ処理は順調でございますか?」  ハームは持っていたお菓子を僕の近くへサーブする。 「いいや。今日のはつまらないから、どうにも捗らない」  僕は今朝早くにセンターから受信したデータの閲覧に、ひどくうんざりしていた。  目を細めながら執事が持参したお菓子をかり、こり、と音をたてつつ、やや惰性的に消化器官に放りこむ。  見た目は白から黄に近い色をした、細長く湾曲したお菓子は、僕にとって最もポピュラーな菓子だ。  しかし、どうしたものだろう。今日のはどうにも塩味が濃く、ほのかに酸味が感じられ、とても硬い。  僕は不快を滲ませる。 「そのような些末なデータなど、坊ちゃんにかかれば一光もあれば十分でしょうに」 「いかに僕といえど、つまらなければ処理速度は落ちるさ」  僕の記憶媒体に流れ込む今日のデータは、地球という小さな星の一生というごく軽い容量ものだ。  だがいかんせんつまらない。 「……昨日見たGN-z11銀河の星々のデータの方が豊かなものだったな」  僕は本日分の内容の粗悪さに肩をすくめる。  地球人とやらは、ほんとうにこんな馬鹿げた星の一生を、何千年以上も必死に営んできたのだろうか。それならば実に、実に、実に滑稽である。我々にとっては瞬きする程の瞬間的な記録ではあるが、地球人の一生は最長120年ほどだ。短命な存在なのである。にもかかわらず、あらゆる場所で略奪と戦争しか起こらない。国という単位にしろ、個人という単位にしろ。奪い奪われ、憎み憎まれ、虐げ虐げられ続ける。それしかすることがないのか、とあまりにもうんざりする。挙句の果てには自らが住む星の全てを奪い尽くし、自滅していった。  僕はこめかみを押して記憶媒体の処理を半ば強制的に中断する。 「……ハーム。ひとつ訊ねたい」 「なんでしょう?」 「今日のお菓子が固すぎる。どういうことだ」  おかげで僕の機嫌はかなりよろしくない。  この塩味に、この酸味に、この硬さはいただけない。これは明らかに年代物のお菓子だ。僕は柔らかい方が好きなのに。  こんな塩味と酸味のきつく硬いものじゃなくて、どちらかといえば柔らかくて歯切れもよく、旨味と、ほのかに脂肪分を感じるものが僕は好みだ。  年代物といわれる硬い方が好きなやつもいるけど、僕の好みはそうじゃない。  まぁお菓子なんて大したエネルギーにならない。だがしかし僕達にとっては貴重なタンパク源だ。 「おや。配送ミスでしょうか? 確かに見た目がいつもと違うことは気になりましたが」  執事はわざとらしいほどに目を丸くする。 「お前な。いつもと違う、と思ったのなら持ってくるまでに、味見くらいしろ」 「失礼いたしました。ですが、主人のエネルギー源を、ただの執事アンドロイドが勝手にエネルギーとするわけにはいきませんので。それがたとえお菓子の一片だとしても」 「お前は臨機応変、という言葉を知らないのか」 「はて。どちらの星の言葉でしょう。インストールいたしますか?」 「……あとでやっておいてくれ」 「かしこまりました」  ハームはなめらかにお辞儀をする。 「しかし、きちんと管理された環境で飼育し、適切なタイミングで収穫されたものが、好みにあわせて配送されてくる契約のはずだろう? ついにあそこの牧場も壊れたのか?」  これで何個めの牧場が壊れたのだろう。任せたはずの管理者は何をやってるんだ。  管理者も、繁殖している品種も、交配は最高の品種同士の掛け合わせだと聞いているのに。実におかしい。 「本日もいつも通りSランクの牧場から取り寄せておりますし、問題報告は特にございませんね」  執事アンドロイドは顎に手を当て、考えるような仕草をする。 「Sランクの品種はたしか、オウゾクとキゾクだったはずだな?」 「左様でございますね」 「オウゾク、キゾクという品種は同じ品種でより濃い血を掛け合わせて種族を増やすのではなかったのだろうか? ……いや。そういえば地球人の繁殖方法のデータは途中で飽きたんだった。最後まて観るべきだったか。しまったな。仕方ない、早急にデータを参照しなおさねば」  僕はこめかみを押して記憶媒体を再起動する。 「坊ちゃんの悪い癖ですよ。つまらないものも最後まできちんと処理なさらないと。昨今は特に数万年の内に人類が激減して食糧難になると言われているのですから。可及的速やかに処理すべき問題です」 「最優先で取り掛かっているつもりだが、地球人のデータだけはどうにもフォルダが雑然としすぎていて、要らぬデータばかり閲覧してしまうんだよ。おかげでなかなか必要データにいきつかない」 「地球人は実に無駄が多いのが特徴でございますから」 「まったくその通りだ」  僕は執事アンドロイドを一瞥した。ハームは平素と変わらぬ様子で『微笑み』の表情を浮かべている。 「そうだハーム。お前、掃除は仕事の内だろう。このデータを整理整頓しろ」 「誠に残念ですがただの執事アンドロイドにはそちらのデータの閲覧権限は御座いませんので、いたしかねます」 「他でもない僕の頼みだぞ」 「そもそも私にはデータの整理整頓プログラムはインストールされておりません」 「インストールしろ」 「容量オーバーにございます」 「拡張しろ」 「坊ちゃん」 「…………」 「そうカッカなさらずに。ですが、お気持ちはお察しいたします。焦りを感じられるのは当たり前かと。人類は坊ちゃんの主食でございますから」 「人類は僕達にとっては栄養素のフルコースだよ、ハーム。それに実に効率の良いエネルギー源だ。可食部も豊富で廃棄するものが少ないところがエコだ。まあ、絶滅危惧種ではあるのだが」 「よき栄養源でございますが、繁殖行動がすくないのが難点でございますからね」 「そうだな。繁殖適齢期に繁殖可能な個体同士で、なおかつ求愛行動をする個体がまず限られるし、求愛行動後ぶじ生殖行動にうつる個体も少ない。生殖行動をしてもそこから約9ヶ月ほど胎内で育てねば産まれてこない。その後も親個体から直ぐに離せば簡単に死んでしまうし、可食部が十分育つのに20年がかかる。僕らにとって瞬きと変わらぬ時間とはいえ、自然繁殖に関する課題は山積みだ。養殖も可能ではあるが、質は落ちる。天然物が1番だ。お前もそう思うだろう?」 「私は人類などという高級食材は口にすることのはない身分でございますゆえ、わかりかねます」 「そうだったな。なら、いま食べてみろ。ほら。僕が許可する」  僕がハームの前にお菓子を差し出せば、ハームは口元に手をやりながら『目を細める』という表情を作る。 「なんだ? プリオン病のワクチンは未摂取だったか?」  人類を食べるうえで太古の昔に問題になっていた病だが、ワクチンによる完全予防が可能になってから随分経つ。  問えば執事アンドロイドは首を横に振った。地球人の日本人という種類が主に行う否定の仕草だ。 「ちがいます。そもそもアンドロイドにワクチンは不要ですので」 「…………お前が人類くさすぎるのが悪い」  こいつは時に人類の中の人類のような動作をするから、それがいけない。 「ありがとうございます」 「ほめてない」 「いいえ。褒め言葉でございますよ。私の開発者にとってはこれ以上ない賛辞ですから。ですが、坊ちゃん? 坊ちゃんの好ましい味ではないからといって私に押し付けないでください」 「…………なんだ。ばれたか」 「よく噛んでお召し上がりになれば、データ整理も捗りますよ。記憶媒体も活性化されます」 「それは人類の脳みその話だろう。僕の記憶媒体は噛む刺激によって記憶容量が変わるような機能はないんだよ」 「左様でございましたね」  再起動後すぐからじわじわと整理整頓されていくデータを、記憶媒体の隅で確認しながら、僕はさりげなくお菓子を端に避けた。 「坊ちゃん。ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」 「暇だからかまわないさ。答えられる範囲なら答えてやろう」 「ありがとうございます。では、坊ちゃんは、いま目の前に、人類がいたら、すぐお召し上がりになりたいですか?」 「そうだな。割と重度の飢餓状態だからな。必要最低限の器官維持栄養素はサプリメントでなんとかなっているが、今なら青年期の人類くらいなら頭から全部ぺろりと平らげられそうだ」  僕は執事アンドロイドへと視線を遣った。 「そうだな。うん。ちょうど、お前くらいなら頭からバリバリと食べることも余裕そうだ」 「………………頭は硬いのでは?」 「僕の咀嚼及び消化器官を侮ってもらっちゃこまるよ」 「左様でございますか」  執事アンドロイドは、口元に手を当てながら笑った。 「……はやく人類が簡単に繁殖するシステムが構築されるといいですね」 「そうだな」  僕は避けたお菓子を再び口に放り込みながら、執事アンドロイドの手袋の下を少しだけ想像した。  きっとそこには切りそろえられた〝年代物〟があるのだろう。
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