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宇都宮線の電車が上野駅のプラットフォームに滑り込んだ時、時計の表示は日付が変わる直前だった。家を飛び出した時、とっさに持ち出した自分の財布の中の金では、上野までの乗車券しか買えなかった。
御前崎友恵はカーディガンの襟を両手で固く合わせ、少しでも冷たい外気が服の下に入り込むのを防ごうとしたが、三月初旬になってぶり返した季節外れの寒気の中では、せん無い抵抗でしかなかった。
駅構内の売店や飲食店はもうシャッターを下ろしていた。東京の地理も事情もよく知らない友恵でも、もう長くは駅構内に留まっていられない事は察しがついた。
思い切って不忍口と書かれた出入り口から道路へ出ると、身を切るような寒さが友恵の全身を襲った。真っ暗な夜空を見上げると、わずかにだが雪がちらついていた。
歩道は街灯に照らされて、歩くのには充分な明るさだったが、人通りがまばらな道へ、意を決して踏み出した。知らない場所の初めて通る道を一歩進む度に、家を飛び出す直前に父親が言っていた言葉が、友恵の頭の中にこだまの様に再生される。
「ガタガタ言わねえで、言う通りにしろ。女は体を売りモンにするのが一番稼げるんだ」
居酒屋やキャバクラらしき店舗からはまだ灯りが漏れていた。その周辺を歩いている、自分の父親と同じ年頃の男性が視界に入る度、友恵は歩く方向を変えて、近づくのを避けた。
すれ違う男全員が、父親の差し向けた追手ではないかと、考え過ぎだと分かっていつつも、感じずにはいられなかった。
とりあえず一番広い道路を、どこへ続いているのかも知らぬまま、友恵は小声ながら歩いた。やがて繁華街を過ぎ、シャッターの閉ざされた店舗が両側に並ぶ辺りを通り過ぎた。
もう何時間歩いただろうか? いや、まだ数十分しか経っていないのだろうか? 凍える寒さと、暗さと、自分をどこか怪しげな連中に売り飛ばそうとした父親の陰に怯えながら歩いた友恵には、その感覚さえ分からなかった。
電車の高架の柱だろうか、がっしりと太いコンクリートの柱に挟まれた空間に、遊園地にあるようなゴーカートが金網の向こう側に数十台並んでいる場所にたどり着いた。辺りを見回しても、人の気配もない。
どうやら駐車場か駐輪場らしい、高架下の空間の一部が工事用の灰色の布で覆われている部分があった。寒さに耐えかねた友恵は、天井から地面まで張ってあるそのカバー布の内側に入り込んだ。
服越しに肌を突き刺していた冷たい風から、身を守る事ができた安堵感から、友恵はその場に座り込んだ。改めて自分の格好を見て、友恵は絶望のため息をついた。
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