第八話 吟遊詩人の竪琴、楽器屋にて。

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第八話 吟遊詩人の竪琴、楽器屋にて。

 晴れ渡る空の下、私は王子に手を引かれて白い建物が立ち並ぶ港町を歩いていた。  王子は生成色のシャツに黒いズボン、外国で流行っているというフード付きで裾の長い袖なしの青色の上着を羽織っている。一方の私はローズピンク色のワンピースに麦わらで編まれた丸い縁のある帽子。帽子には長いリボンが結ばれてひらひらと風に揺れる。この帽子も外国で流行っているらしく、道行く女性の三分の一近くが被っていた。  港町を歩く人々の服装は様々で、自由な空気が心地いい。王子だとバレることはないという言葉は正しかった。王子と私は、外国から来た旅行者に見えるかもしれない。  王女と一緒に市場や町中を視察する機会はあっても、案内される順番や、説明される物は事前に決まっていて、興味があっても聞くことは出来なかった。 「この町の建物が白いのは、近くで取れる石のせいなんだ。上質な石を削って使って作る建物もあるけど、普通の石やレンガで建てて、焼いた石灰と石を砕いた粉を混ぜたもので表面を覆っている建物の方が多い。雨にも丈夫だし、湿度も調整してくれる」  王子に言われて建物の壁を見ると、きらきらとしたガラス質の粉を含んで白く輝いていた。 「鍛冶屋のロランの家がレンガのままなのは、毎日火を使うから白いとすぐに黒くなるんだって」  建物の壁の材料一つを知るだけで、町の見え方が違ってくる。通風窓の周囲が汚れている光景すら、毎日の暮らしを想像してしまう。  貴族とは違う平民の暮らし。決して覗き見ることのなかった世界が目の前に広がっている。王子はこの場所で、どれだけの人々の生活を見てきたのだろうか。  賑やかを通り越して騒々しい市場で明るい人々のやり取りを見ていると、気持ちも明るくなる。普段見る事の無い調理前の魚や野菜が並ぶ店の色あざやかさは、見ているだけで面白い。  海で獲れる魚だけでなく、外国から輸入された果物や野菜も大人が入ることができそうな籠に山積みされていて、考えられないくらいに安価で売られていた。 「……随分安価なのですね」  王女と視察した王都の市場の十分の一。王都ではリンゴ一個分の小銀貨一枚を出せば、一人では持ちきれない量が買えてしまうだろう。 「王都まで運ぶのが大変だからね。日持ちしない物は早馬で限られた量しか運べない。痛まないように大事に運ぶには日数がかかるし、冷却魔法の護符は高価だ」   魚や肉は、塩や油に漬けて運ばれる。果物や野菜は早めに収穫されていて、王都に到着する頃に食べごろになると王子は言う。  王子の知識は多岐にわたっていて、どんな物でも名前を知っている。道行く人や店主に声を掛けられると着易く笑って返答する姿は、王城では見られない。生き生きとした笑顔が眩しくすら思える。  もしかしたら、これが王子の本当の姿なのかもしれない。強力な魔力を持ち貴族の規範となる王子も、時には息抜きしたいというのもわかる気がする。  人が集まっている中央に、大人二人よりも大きな魚が吊り下げられていた。魚と言っても鱗はない。 「あれはサメだよ。滅多に取れない珍しい魚で人気があるから、あっという間に消費されてしまうんだ。皮も鱗を剥がしてなめされて、いろんな装飾品や靴に使われる。普通の革と違って水に強くて丈夫だよ」 「鱗があるのですか?」 「ここからだと見えないけど細かい鱗があって、触るとざらざらしてる。女性の手なら傷がつくかもしれない。果物や野菜をすりおろすこともできるんだ」  サメの下では、男たちが威勢よく売買の話をしている。魚の値段はわからないものの、その巨大さに比べて安すぎるのではないかと思う。 「あー、良い値段だなー。きっと大きな傷が無いからだね」  言われて見上げるとサメの表面に目立つ傷はない。傷が無ければ、それだけ大きな皮が取れると聞いて値段が上がる理由もわかる。 「料理屋で食べられるのは明日かな。もしかしたら夜には出てるかもしれないよ。生のまま日数が経つと酷い悪臭がするんだ。船乗りの中には、悪臭も珍味だと言って酒と一緒に食べて楽しむ者もいるけどね」  晩餐会で焼かれた魚が出ることはあっても、サメは見たことはないし食べたこともない。 「明日、料理屋に行ってサメを食べてみる?」 「はい」  それは危険な行為だと思う前に答えてしまった。咄嗟のこととはいえ、食欲に負けてしまったようで恥ずかしい。羞恥が頬に集まっていくと、王子の笑顔がさらに深まる。 「僕も久しぶりに食べるから楽しみだ」  王子の明るい声に励まされ、私は羞恥を隠して歩き出した。       ◆    明るい市場を通り過ぎ、王子は暗く怪しい雰囲気を漂わせる路地を進んでいく。日の当たらない陰は濃く、港町特有の白い建物の壁も心なしかくすんで見えるような気がする。  珍しい鉄製の扉の前で王子が止まった。黒く重厚な壁の四隅は錆が見られる。 「ここだよ。楽器屋なんだ」  重そうに見える鉄の扉は、王子の片手であっさりと開いた。  薄暗い店内の壁には、ありとあらゆる種類の楽器が掛けられている。中でも一番多くを占めるのは竪琴。棚にも様々な大きさと形状が揃っている。 「ようこそいらっしゃいました。ルシアン様」  店の長机(カウンター)の奥で竪琴の弦を調整していた男が立ち上がって声を掛けてきた。右手を胸に当てて左手を横に伸ばし、腰を落として礼をする。貴族の礼とは違うと考えて、吟遊詩人特有の礼だと思い出した。通常、右手には帽子、伸ばした左手には楽器を持つ。 「ガヴィ、例の物を見せてくれるかな」  王子の言葉に男――ガヴィが了承したと頷く。ガヴィは臨時休業と書かれた木の札を持って、一度外に出て戻って来た。  ガヴィは戸棚を開けて、白に近いクリーム色で見事な花の彫刻が施された竪琴を取り出した。 「こちらは昨日入荷した物です。海の彼方の大陸にいる象の牙で出来ています」  試し弾きをするのかと思った時、竪琴の一部が分離して刃のきらめきが見えた。反射的に半歩前に出て王子を背に庇う。 「ジュディット、大丈夫だよ」  王子の笑いを含んだ声を聞きながら、驚いた顔をしたガヴィと見つめ合う。港町の男にしては、あまり日焼けしていない。細身の体つきでありながら、刃を扱いなれている者独特の動きがみられた。  緑がかった灰銀髪で精悍な顔。瞳は濃い橙色。左耳には竜血石の耳飾りが揺れている。私と同年代だろうか。ざっと特徴を確認し、名前と顔を情報として記憶する。  王子が大丈夫だと言っても、人は突然裏切ることもある。実際、安全だと保証されていた外国の大使が王女を害しようとした事件もあった。逆賊に家族を人質に取られてやむなくの行動でも、本国へ送還された後、処刑されたと聞いている。 「失礼しました」  私の目礼は戸惑いの表情で返されて、ようやく自分が騎士ではなくなっていたことに気が付く。しまったと思っても、時間は戻せない。貴族の女性が取る行動ではなかった。  王子よりも半歩後ろに下がって控えると、王子は私に微笑みかけ私の手を求めた。 「……」  貴人の要請を騎士が拒否することはできない。右手を差し出すと、王子が左手で私の手を握る。  街を案内する訳でもなく人前で恥ずかしいと思うと同時に、これは私の利き手を封じる行為だと思い至った。騎士は必要ない。そう無言で示されたような気がする。  手を繋ぐと、二人で並んで立つことになった。 「ガヴィ、続けてくれるかな」 「はい」  小さく鍵が開くような音がして、竪琴の下部から細く鋭い刃が六本現れた。刃は薄く、熟練者が急所を突けば、ほとんど血が出ない傷を負わせることができる。おそらくは暗殺用として作られた武器。 「面白い短剣だね」 「はい。この薄さですから、相手は何が起こったかわからない内に死に至るでしょう」 「投げられる?」 「いえ。これは軽量過ぎて投擲には向きません。投擲用なら別にございます」 「それは後で。他に仕掛けはないのかな」  笑う王子が促すと、ガヴィは極細の刃を戻して別の場所を指で押した。 「側面の片側に刃が仕込まれています。これで近接戦闘なら可能でしょう」  竪琴の曲面に沿って鋭い刃が現れている。ガヴィは竪琴の上部の端を握り、器用に竪琴を回転させながら空を斬る。  踊るような軽い斬撃の後、刃の出ていない片面を胸で支え、剣を受ける構えを取った。 「重量がありませんので、こうして体を使って固定します。これなら重い剣を受けても耐えられます。ただ、戦斧の攻撃は想定していませんので、受け流すしかありません」  見たこともない戦闘方法に興味が沸いた。ガヴィの足捌きは軽く見えて、しっかりと踏み込んでいる。軽い威力と侮れば、きっと見た目よりも強力な攻撃を受けることになる。  おもしろい。ただ純粋にそう思う。 「ガヴィ、持ってみてもいいかな」 「どうぞ」  王子の手が離れ、竪琴へと移る。温もりが無くなる瞬間に、微かな寂しさを感じた自分が理解できない。利き手を封じられることは騎士として最大の屈辱。解放されたのなら安堵するべきだろう。 「思ったより軽いね」 「内部が削られていますから、見た目の重量感とは異なります」 「本体の強度は?」 「内側は風の精霊の守護を受けた革が貼られていますので、竪琴のみでも剣の攻撃に耐えられます」 「ジュディット、持ってみる?」 「……よろしいのですか?」 「どうぞ」  王子とガヴィに勧められ、恐る恐る竪琴を受け取る。外見から受ける印象と全く異なり、かなり軽い。通常の剣の半分程度の重量で、これなら女性でも片手で持つことができるだろう。 「その花を押すと刃が出ます」  指示されるまま、彫刻された花を押す。かちりと音がして、竪琴の片側に刃が出現した。どう扱えばいいのかわからないものの、ロランが作る武器とは違う曲線に目が奪われる。  竪琴上部の装飾は、握りやすくする為だと触れてみるとよくわかる。意図せず指が弦に触れ、美しい音色が響いた。 「とても良い音が出ますね。武器ではないのですか?」 「主目的は楽器です。この竪琴は、吟遊詩人たちが身を護る為に作らせたもの。もちろん、暗器としても使われますが」  ガヴィは近くに立て掛けられていた竪琴を取り、軽やかな曲の一節を爪弾いた。その短い演奏でも、熟練奏者だと感じる。  ガヴィは吟遊詩人なのだろうか。今まで見たことのある者たちは、どちらかというと女性的な雰囲気を漂わせていた。精悍な顔つきは男らしくて凛々しい。 「他の物もいろいろ見せて欲しいな」 「はい。もちろん」  片腕に竪琴を抱えたままのガヴィは、王子の要請に静かな笑顔で答えた。
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