オマエハクルナ

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娘は16歳で生涯を終えました。 私は200歳以上になっても生涯を終える事が出来ないまま、この世に存命しています。 娘が自殺したあと主人に離婚を切り出され、私は実家に戻る事になりました。母親には、私が敷いてあげたレールから外れてしまうとは親不孝者!と散々なじられました。仕方ないじゃない。娘が勝手に自殺してしまったんだから。親のレールは走る物です。それが幸せの形です。私も母親のおかげで幸せな人生でした。娘が脱線したせいで、不幸になってしまったけど。自分勝手なレール切り替えは、他人を巻き込む事故を起こします。だから娘にも私が敷いたレールを走って欲しかったのに。伝わらなかった事がとても残念です。 私は母親のいう通りに生き直しました。 結婚前の職場に再就職し、給料のほとんどを貯蓄し、親子3人で慎ましく暮らしました。 やがて父の痴呆が始まり、仕事と介護で忙しくなってきました。私が仕事の間は母が、帰って来てからは私が父の介護をする日々でした。母はよく、楽しいねと言っていました。 仕事も介護も毎日あるって、充実してる証拠だよという母の言葉に私は頷きました。母親の敷いたレールの上はやっぱり幸せだ。日々ヘロヘロになりながら、私は笑って過ごしました。 私が再び不幸になったのは、そんな母親を亡くしてからでした。 父が亡くなり暫くすると、今度は母の介護が始まりました。少しずつ私の事を忘れていく母親に、私は寂しさを募らせていきました。 母の指示でその頃私は無職だったので、介護だけに時間を割く事が出来たのです。 母が弱っていく度に、私のレールが細くなっていく気がしました。お母さん、生きて。あなたが死んでしまったら、誰が私を走らせてくれるの? やがて母親も亡くなり、私は廃車となりました。
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