男の正体

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「あーあーもう、終わんねー!」  黙々と部屋の片付けに勤しんでいた柘榴は、ついに涙目で苛立ち混じりの悲鳴をあげた。せっかく分けて並べた着物をひっくり返しそうになる。  着物の下には砕け散った陶磁器にひしゃげた鈴、我楽多(がらくた)がいくつも転がっていて、どれも意図的に破壊されていた。踏んで怪我しないようにそれらと着物を分け、破損した物は掃いて一箇所にまとめた。着物は後々灰汁で洗うのを見越して、色で選別している。  着物の量がとにかく多いのに辟易(へきえき)したが、柘榴を悩ませているのはそれよりも大きな問題だった。溜息をつきながら柘榴が見つめた先で、華やかな色柄物の着物が山になって置かれている。子供用の着物と、演舞用の緞子(どんす)だ。 「……もう二度と、見る事はないと思ってたのに……何なんだよ」  舌を打つ顔は、苦く歪んでいた。  子供用の着物はかつて友人が着ていた物で、演舞用のは散楽者(さんがくしゃ)として身を立てていた彼の父が使っていた衣装だ。  友人の事を思い出させるような物には触れたくなかった。彼と関わる記憶はどれも大切な宝物に等しい。()ちるところまで堕ちてしまった自分には不相応なくらいにきらめくそれを思い返すのも、今の自分にはおこがましいのだ。  友人は生涯で一人しか出来なかった。かけがえのない人だった。誰を信じる事も恐れ、人の気配に怯え、決して目を合わせもしない、無愛想で臆病な子供と出会った友人はまるで気にした風もなくいつも優しく笑いかけて、側に居続けてくれた。  人間の心が本来持っている豊かさを教えてくれたのが、友人と、その家族だったのだ。  当時の自分は愚直なまでに彼らの幸せを願っていた。この村を出たのも彼らを思っての事だった。吾緋村でさえ異端視される程に粗暴な父の子供として、自分は村人から冷遇されていた。  それを彼らは気さくに受け入れ、好意的に接してくれた。そのせいで村人から白い目で見られ始めても、彼らは変わらない温もりを与えてくれた。  馬鹿な人間だ、自分は。己の幸せを捨ててでも、友人が幸せになれるならそれでいいと思っていたくせに、友人が大切にしていた人を。  殺さざるを得なかった。そうしなければ共倒れになっていた。それでも友人が知らない内にその人を葬ってしまったのだから、(ゆる)されるべきではない。  友人はきっと今も、自分の大切な存在がどこに消えたか知らない。深い愛情を注いでいた存在がいなくなったと知ってしまったら、友人の心は砕けてしまうだろう。 「……」  余計な念を振り払うように、着物の山を一つ抱えて空の桶に入れた。気疲れのせいか上手く腕に力が入らず、再び溜息をつく。  友人からすれば、自分は大切な人を手に掛けた(かたき)だ。友人に顔向け出来ない事をして、それなのに彼に思慕を抱いていた当時の思いを、いまだに(くすぶ)らせている。  あまりにも馬鹿げている。(みじ)めで愚かしくて、どうしようもない。地獄に行くのが似合いというものだ。 「……」  気怠さを細く長く吐き出して、天を仰いだ。じとりとした汗が垂れるのはきっと、闇を容赦なく焼き尽くす陽光のせいだ。  作業の手を止めさせたのは人の気配だった。遠くに聞こえた乾いた砂利を踏みしめる音が次第に大きくなって、柘榴の元へ近付いていた。音の立つ頻度からして女性だろうと当たりをつけ、柘榴は早足で土間へ向かった。  ――もしかして、あの重苦しい部屋の主が帰ってきたのか?  もしそうだとしたら、こちらに向かってきてるのは昨晩の男の妻だろうか。 「いや、ないな。それはないない」  即座に自分の考えに苦笑した。妻がいる身で、素性も知らない野郎相手にあそこまで初心(うぶ)な反応を見せる男がいるものか。彼が見せた涙だって、浮ついた心の持ち主が流せるものではない。  ――そう思いたいだけ……かもしれないけどな。  苦笑に僅かな痛みが混ざった。昨夜の男は友人と似たところはあるが、友人本人ではなく他人なのだ。ただの優男ではなさそうだとかいくつか所感はあったが、あくまで所感だ。彼の中で幾重にも折り重なる心の有様(ありさま)も、時の流れに付随してそれがどう変容していくのかの(きざ)しも知らない。  それでも昨夜の彼をいいように考えているのは、彼を信頼しているからじゃない。ただ友人の面影を押し当てているだけだ。愛すると決めた相手を決して傷つけないよう心を砕き、それを苦としなかった友人の姿を。
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