男の正体

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 雑念を振り払うように首を振り、柘榴は急いで門戸(もんこ)へ向かった。その間に扉を開いてほしいと()う音が響く。 「おう待ってな、今開け……る……」  言いながら門戸を開いた柘榴は、戸を開いた体勢のまま、困惑で視線を泳がせた。  中途半端に開いた戸の向こう、柘榴よりやや背高の客人はどう見ても男の体格で、女物の喪服を着ていた。その上、地に擦りそうな長さの黒い絹を被り、女面までつけている。  客人は柘榴を認めると、愛想良く頭を下げた。 「おや、初めまして。あなたはもしかして……いえ、いきなり踏み込んだ事を聞くのは失礼ですね」  仮面でくぐもった声は気さくだった。やはり男の声だ。不審に思いながらよく見てみると、手や首には晒しが巻きつき、肌を覆っていた。きっちりと巻かれたそれは、喉仏や手の筋張りを隠す為のものに見える。男という性別を隠し、女を装う為のような。  予想外の姿に面食らってしまったが、落ち着いて考えればこの格好には心当たりがあった。吾緋村では毎年、村のけがれを祓い、豊穣を祈願する秋祭りが行われる。  そこで演じられる里神楽は祭りの花形であり、千年程前にこの地で生まれてから今日に至るまで、伝統として吾緋村で脈々と受け継がれている。  神楽に登場する姫は実在した人間だ。客人の奇特な格好は、この地に眠る姫の念を鎮める儀式の為のものだ。 「鎮魂の儀か。蛇姫の」  客人は感心したように嘆息する。 「ははぁ、よくご存知で。ご覧になった事が?」  柘榴は首を振った。 「ずいぶん前に小耳に挟んだだけだ。蛇姫は筋金入りの悪霊で鬼女と化し、定められた装束にならなければ祟られるのだと。それがどんな姿なのかはその時に聞いたが、こうして実際に着込んでいるのを見たのは初めてだ」 「そうですか、そうですか。ああ、ほら、ちょうど儀式の後の歓談を終えた村人達が来ましたよ。ご覧になりますか、あの列を」  客人は人差し指で山を示す。言われるがまま外へ出ると、ジャリ、ジャリン、と耳に障る鈴の音が遠くに聞こえた。  目を凝らした先にいたのは十数人。神事に用いる大幣(おおぬさ)や、神楽鈴を引きずって歩いていた。背格好を見るに男も女も混ざっているようだが、誰もが客人と同じ格好をしている。  活気なくぬらぬらと砂利道を進む彼らの最後尾は、山肌に(しつら)えられた石の階段を降りている。鬱蒼と茂る山の奥に、俗世から隔離された社が潜んでいるのだろう。  風に乗り途切れ途切れに聞こえるのは溜息や、何かを嘲笑う声だった。物々しい空気を放つ彼らが、邪を祓う神具を握りしめているのが不気味でならない。あれではまるで百鬼夜行だ。 「あれをどう見ますか、あなたは」  悪しきものだ、と言いかけて、柘榴は咳払いでごまかした。  神具を平気で引きずって祭る神を冒涜しているというのに、咎める者が一人もいない。本音を言えば嫌悪感が強いのだが、彼らと同じ姿の客人に伝えるのは気が引けた。 「あー、まぁ、そうだな。ああやって列を成して帰る様子も伝統の一部だろうし、いいんじゃないか。貴重なものが見れた」 「ふふ、流石流石。あなたは賢くていらっしゃる」  客人は体を揺さぶって笑うと、仮面を外した。現れたのは、好奇心に満ちた目。遊び相手を求める子犬のような目が、柘榴を捉えた。 「では次は、正直に。遠慮なさらず、さあ、さあ」 「なんだよ、熱心に聞いてくるじゃねぇの」  つい眉を下げて笑った。悪いやつではなさそうだが、間合いの詰め方が子供のように無邪気だ。  人懐っこい変わり者といった風情の客人は、ワクワクと胸躍らせているのを隠しもせずウンウンと頷いた。 「それはもう、あなたに興味がありますからね!」 「どうして?」  腕を組み、軽い気持ちで問いかける。大した事はない、ただの話の接ぎ穂のつもりだった。  興奮で頬を赤くしている客人は、嬉々として身を乗り出した。 「もちろん、懇意にしてもらってる蜜樹さんの家にいる人だからですよ。あなたがどのような人なのか、もう気になって気になって」 「…………は?」  どくん、と、心臓が大きく震えた。  蜜樹。鼓動を乱すその名前が、しつこく頭の中で反響する。客人の声は遠のき、まるで耳に入らない。血の気が引き、足から力が抜け、体温は下がっていく。寒いくらいに、急速に。 「……みつき。蜜樹、蜜樹だって……?」  絞り出した声は掠れていた。蜜樹。それは自分の、唯一の友人の名前だ。  客人は首を縦に振る。 「ええ、蜜樹さん。男でも見惚れてしまうくらいの美形ですが、ちょっとズボラなんですよねぇ彼。私の薬を定期的に飲みなさいよと言ってるのに、少し確認を怠るとすぐ飲み忘れちゃって」 「蜜樹……ああ……蜜樹、そうか。ああ、俺は……俺は…………どうしたら」 「……もし?」  客人は怪訝そうに小首を傾げ、直後、引き攣るような悲鳴を上げた。赤い、赤い鮮血が、柘榴の口から溢れたのだ。  何事かを叫びながら駆け寄る客人が、闇に飲まれていく。ここで消えてしまえ、今すぐに消え失せてしまえと己を呪いながら、柘榴の意識はふつりと途絶えた。
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