私の名を

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「俺の名を呼べ……!」  泣きじゃくる私の前に立ち、男は言った。 「いいか! これからは俺の名を呼べ! どんなときでも、どんな状況でも構わない! 俺がすぐに駆けつける! これから、俺がお前をこいつから守る! だから、もう、泣くんじゃない……!」  すると、震える男の銃口の向こうで、その叫びに反応し、四肢を地面に付いて蠢く「こいつ」が呻き声を上げた。はっとして男がそちらへ目を向けると、目は窪み、血だらけの中で抜け落ちた歯が浮かぶ口を開き、首を左右に傾ける女が、青い血管が浮き出る乳房をキャミソールからはみ出たせ、這いずってくる。それに怯えて震える私と対して、守ろうとする彼もまた、右の黒子が目立つ眦を吊り上げ、両手で構える銃を震わせた。 「いいか、これからは、俺の名を! 俺の名を呼ぶんだ……!」  それでも彼はひたすら、私を助けるために声をあげ、励まし続けた。それは、ヒーローになる決意を表すため、私を依り代にしただけかもしれない。それでも私はもう、彼しか縁にするものがなかった。それ以外は全て奪われた。この、目の前の「こいつ」によって――、 「アア……ガア……ザアア……ン……」  すると、「こいつ」が、傷跡の痛々しい右腕を掲げて迫ってくる。このまま何もせず襲われてしまえば、彼もまた「こいつ」と同じになってしまう。私はその恐怖に耐えきれず目を瞑ると――、 「あ、ああああああああああ!」  男は絶叫し、甲高い発砲音を響かせた。 ***  男はそれから、私の「父」となった。我が国の政府が作った「人を狂暴な生物兵器にさせるウイルス」が、不用意な事故によってばら撒かれてしまい、私の国は、他国を攻めるための兵器に自ら滅してしまった。  しかし、私を含め僅かに生き残った者同士は支え合い、時には「そいつ」を殺しながら、少しすつ少しずつ生活を取り戻していった。  私もまた両親を「そいつ」に殺され、両親もそこから感染し、「そいつ」となって私に迫った経緯を持つ。家から必死になって逃げ出し、その矢先に遭遇した「こいつ」に襲われる直前に、「父」に救われたのだ。  「父」もまた、自分を娘のように愛してくれた。子ども故に非力な私を、どんなときでも――、最初に言ってくれた通り、名前を呼べば銃を持って駆けつけてくれた。「そいつ」に襲われたときは当然、犬に噛まれたときや、せっかく作ったシチューの鍋を落としたときでさえ。    壊滅してしまった世界でも、苦難を乗り越え、そして私も「父」のサバイバル術を引き継いでいった。過酷だったけれど、幸せな日々だった。やがて、お互いを守り合う日々が、ずっと続けばいい。そう、願っていた。  そして、身体も大きくなり、力も強くなった私は、遂にここまで来たのだった。一人で立ち、銃を持ち、こうして、今、その背後に守るべき者が出来るときが。
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