2.震災と原発事故

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 断水はしていたものの、飲水は貯めておいた水もあったし、給水車に貰いに行き確保出来ました。トイレのお水は11日のお風呂の残り湯が大活躍でした。  あの残り湯が無かったら……小さい子どもと一緒に避難所生活をしなければいけなかったかも。  地震の被害としては断水だけで、それもなんとか乗り越える事が出来ていたのですが、心配だったのが原発事故。  3月12日、1号機の爆発。主人の実家の山形からも、私の実家の大阪からも、早く逃げろと言われ、パニック状態になりました。  当時は電話も繋がりにくく、メールもすぐに届かなくて、ネットも繋がらなくて…。テレビでは繰り返し「大丈夫」と言われるし、何を信じて良いのか、どうすれば良いのかわかりませんでした。  主人は当時、災害救助の側の仕事をしていて、家には2~3時間の仮眠に戻ってくるだけでしたし、私が子どもたちを守らなければと必死でした。  新幹線は止まっていましたが、飛行機は便があると聞いたのですが、電話もネットも繋がらないので予約も出来ない。  続く余震、時々聞こえるゴォーという地鳴りが恐ろしかった。大地が、地球が怒ってる、そんな風に感じました。  3月13日、パニック状態の私は、空港まで行けばなんとかなるのではと、子ども2人を乗せて車で行こうとしました。家を出て10分程で、地震で路面が悪くなっていて通行止め迂回の箇所があり、ようやく我にかえり、これは無理だとスゴスゴと家に帰りましたけれど。    
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