戦争と笑顔論

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「サナギ田を呼べ!」と補佐役に命じたのは第五軍司令官ムダ口中将である。将棋の駒を連想させる頭を丸め、口髭を蓄え、鼻筋の通った立派そうな彼は、やがて第五軍司令部司令官室にてサナギ田第三師団長を引見して、いつものように笑顔を作って言った。 「遂に作戦決行だな」 「はぁ」 「何度も言うようだが、雨期に入る前に遂行すれば、何ら問題はない」 「は、はぁ」 「何だ!その生気のない返事わ!」 「い、いえ・・・」 「苦しい時だからこそ将又、困難に立ち向かうからこそ笑顔でいろ!」 「は!」とサナギ田は敢えて声を張り上げた後、ぎこちない笑顔を作る。 「何だ、その顔わ!俺みたいに明るく笑え!」  無理矢理、口角を上げ、目尻に皴を寄せるサナギ田。 「うむ、ま、それで良い。くどいようだが、笑顔で対処すれば何事も上手く行く。俺は必ず成功すると楽観しとるぞ!よって神頼みもお願いも必要ないが、成功を祈る!」 「は!ムダ口閣下、有難き幸せ」  彼らの所属する陸軍は本国から海を越え、遥か南西の大陸にある発展途上諸国を侵略中であり、敵国の同盟国が敵国に軍事援助する為の輸送路の途中にある都市、その要衝制圧が第三師団に課せられたミッションだった。その目的地点に辿り着くには川幅最長600メートルの大河を超え、2000メートル級の山々を超え、占めて470キロメートルを踏破しなければならない。が、この一帯は熱帯モンスーン気候により世界で最も雨が降る多雨地帯だから雨期に入ると、行く手が泥濘になり行軍がままならなくなる。だから雨期に入る前に作戦を遂行しなければならない訳だ。で、ムダ口軍司令官はタイムリミットを3週間と定めていた。  ところが作戦開始前にムダ口軍司令官の指示で荷物の運搬や食用の為に民家から徴発して集めておいた牛たちは、作戦開始してから半数が渡河の間に流された。兵隊が乗船し、甲板の両端に並び、牛の手綱を持って牛のけつを引っぱたきながら船が進水するに従って牛を川に入れて行くのだが、前に行くしかない牛は引っ張られるまま泳ぐ内に水中に潜ってしまうのだ。で、牛を押さえている兵士は自分も流されてしまうと危ぶんで手綱を放すと、牛は荷物を積んだまま川に流されるのだ。仮令、向こう岸に辿り着いても牛たちは険しい山道で次々と倒れ、或いは足を踏み外して崖から転落してしまうから作戦開始してから1週間目でほとんどの牛が脱落してしまった。  一方、兵士たちは作戦が3週間で完了するよう計画されていたので、そのほとんどが一人当たり40キログラムに分けた、3週間もつ最低限の食糧と弾薬を背負って運搬した。彼ら以外の兵士たちもトラックや大砲を解体して運搬している訳だから倒れた牛の荷物を運ぶ余裕は毛頭ない。進む足は当然鈍り、心も体も疲弊する由で作戦開始から3週間目に第三師団が辿り着いたのは、目標地点から遅れること約100キロメートル離れた、小さな村だった。その時点で食糧が尽きたので、そこで強引に食糧を徴発したが、人口希薄地帯故、一個師団分の食糧を賄えるものではなかった。  仕方なく村を出て再び熱帯の密林へ。1日2日と経ち、つまり作戦開始から3週間が過ぎ、皆が恐れていた雨期に入ると、早速、大雨が第三師団を襲った。どんどんぬかるむ道なき道。兵士の足はずぼりずぼり泥濘に埋まって行く。足を取られ益々疲弊し、体力を消耗する兵士たち。その上、空腹に耐えかねてしまうが、補給困難の為、後方からの支援はまるでなかった。  堪らずサナギ田第三師団長は、「未だ目標地点に遠く及ばず、食糧尽き、豪雨に因る泥道となり、行軍ままならず、兵士疲労困憊の上、憂鬱と飢餓とに苦闘し、作戦続行不可能」と軍司令部に打電した。が、火力で劣る上、兵站支援部隊の駐屯は困難であるとして作戦に反対する軍司令部のオギハ木参謀長はムダ口軍司令官に更迭され、軍司令部内は作戦に反対できない空気が流れていた。その為、ムダ口軍司令官が、「草でも木の実でも何でも食え!仮令、食いもんがなくなったって笑顔があるだろ!だから笑顔で乗り切れ!泥道だってそうだ!笑顔で乗り切れ!笑顔さえあれば何でもやり通せるのだ!」とこんな調子で言っても皆、ムダ口軍司令官に已む無く同調した。従って兵站を無視し精神論根性論ならぬ笑顔論を重視し、杜撰で無謀な計画を立てたムダ口軍司令官の思うままに作戦は続行された。  体力消耗、心身疲弊の上、飢えと雨と泥に呻吟し苦悶しながら作戦開始から4週間目、何とかかんとか目標地点に辿り着いた第三師団は、大砲を組み立ててから昔ながらの白兵戦を得意としているので夜襲するべく銃剣突撃したが、それは時代錯誤も甚だしく火力と物量に勝る敵方の機関銃の乱れ撃ちに真面に遭い、銃弾の雨を浴びた兵士たちは、無残にもバッタバッタと倒れて行った。敵方は全ての電報暗号を傍受し解読して作戦を見透かし、満を持して待機していたのだ。  このままでは皆殺しにされるとサナギ田師団長は尋常でなく危ぶみ、軍司令部に、「敵は圧倒的に火力で勝っています。どうしようもありません」と打電すると、ムダ口軍司令官は、「火力で劣っても明力では勝っている。笑顔だ!笑顔で打ち破れ!」と相変わらずの調子だから火力を無視し笑顔論を重視した杜撰で無謀な作戦は、ムダ口軍司令官の独断で猶も続行された。  その後、「駄目です。もう全滅してしまいます」とサナギ田師団長が軍司令部に打電すると、ムダ口軍司令官は、「全滅してでも撃滅しろ!」と言いかけたものの流石に無理と悟り、「腰抜けどもめ!お前らには笑顔、明力がないのか!」と罵った上で要約、撤退を命じ、作戦は中止された。  僅かな敗残兵たちは雨が降りしきる中、徒でさえ歩く力がほとんど残っていないのにぬかるみに足を取られるので倒れては進み倒れては進み、或いは亀のように這いながら進んだ。そんな中で変な物を口にして下痢になる者もあれば、傷口が多湿のため直ぐ化膿して湧いたウジを払い落とす者もあり、赤痢にかかる者もあれば、マラリアにかかる者もあり、餓死する者もあれば、病死する者もあるといった具合に極めて悲惨な地獄のような状況に陥った。  斯様な極限状態になると、人は道徳を忘れてしまうものなのか、自分だけ栄養を付けて助かろうと死体の人肉を切り取って食べる者がちらほら現れた。倒れている者に近寄って、「こいつは死んでから間もない。温かいぞ、美味そうだ」なぞと言って食べるのだ。  中には物凄いのがいて味を占めて肉だけでなく臓器や脳みそや目玉も抉り出して食べ、兎に角、ところ嫌わず食いついて温かい死体を食べ尽くし、骨だけにすると、冷たい死体にも手を出して食べ尽くし、遂にはまだ生きている者も銃剣で刺し殺して食って行った。毒蛇やサソリを食べても免疫によって毒に侵されないミーアキャットのように病原菌まるけの死体を食べても大丈夫なのだ。いやはや顔も手も軍服も血塗れで、その姿はケダモノそのものだ。否、ケダモノは共食いを滅多にしないから、その悍ましさはケダモノ以上と言って良い。膂力ももりもりつけた彼は、最後に残り戦慄するのみならず衰弱し切っていたサナギ田師団長も逃げ果せよう筈がなく難なくとっ捕まえた。 「おい、何でお前は部下たちをこんな苛酷な目に遭わせたんだ?」 「お、お、俺はこ、こ、このさ、さ、作戦に、は、は、反対だったんだ、だ、だが、し、し、し、司令か、か、官のめ、め、命令にし、し、したが、が、がうし、し、しか、な、な、なかった、た、た、たんだ」正に横板に雨だれで歯をガタガタ言わせながらサナギ田師団長は答えたのだった。 「面従腹背か!」 「そ、そうだ」 「司令官を諌止できる参謀はいなかったのか?」 「ひ、一人だけ、は、は、はんた、た、たい(反対)の、旨をしんげ、げ、げ、げん(進言)し、し、したのが、い、い、いたが、き、き、聴くみ、み、耳を、も、も、もたなかった」 「この舗装しようがないドロドロの道のように糞土の牆は杇るべからずといった所だな。ムダ口とかいったな」 「そ、そ、そうだ」 「名前通り無駄口ばかり吐いてたんだな」 「そ、そうだ」 「うむ、そいつも殺して食ってやる。その前に」と言うが早いかサナギ田の喉笛にがぶりと食いつき、嚙み切って息の根を止め、その屍も食い尽くしてしまった。  腐乱死体が残らないのは良いのだが、酷い掃除屋もあったものだ。これを見たなら草原の掃除屋ハイエナも嘸かし真っ青になることであろう。  その後、彼は四つ足動物のように峻険な山々を駆け巡って高原地帯にある軍司令部に行ったが、もぬけの殻だった。ここはこの国有数の避暑地だ。こんな前線から離れた所に軍司令部を置いたのは端から自ら指揮を執る気が無かったからだ。噂通り内地から連れて来た将校専用の芸者や仲居と料亭で毎晩遊び明かしていたに違いない。最も唾棄すべき蛇蝎視すべき食うべき奴だったが、逃がした魚は大きいと彼は痛感するのだった。  前線で戦うことなく卑劣にして卑怯を極めたムダ口は、「弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸が無ければ銃剣があるじゃないか、銃剣が無ければ腕があるじゃないか、腕が無ければ足で蹴れ、足が無ければ口で嚙みつけ、何にも無くなっても無敵の笑顔があるではないか。それと言うのが我が国は神州である。どんな時でも八百万の神々が笑顔で以て我々を明るく照らしながら守ってくださると部下には普段から口を酸っぱくして諭すも、部下が無能で理解がなく笑顔からなる勇気も根性も生まれるべくもなく作戦が蹉跌するに至れり」なぞと陸軍上層部を支配するディープステートからなる陰謀論とも言える笑顔論を軸として部下に責任転嫁して陸軍総司令部に打電したのだった。その後、参謀役を伴い、護衛兵を従え、計20名が分乗した自動車で出奔したのだった。  敗戦後、ムダ口は証拠不十分で戦犯にはならず反省もせずに生き続け、寄らば大樹の陰で皮肉にも皆から頼られ、また作り笑顔で慕われたのだった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!