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 家の為にできる事がそれしかないのだから僕に最初から否はない。そもそもこうなってしまった原因は僕にあると思うから従うしかないのだ。  ただ心残りがあるとすれば、ケインの事だけ。  いつもいつも彼だけが僕の傍にいてくれた。  家族にも誰にも見向きもされず、それでも必要以上に寂しく思わなくて済んだのはケインがいてくれたからだ。  彼の事を考えるだけで僕の胸はこんなにも温かくなる。  だけれど嫁ぐという事はヴァレンシス家を出て行くという事で、二度とケインに会えないという事を意味した。従僕であるならまだしも執事である彼を連れてはいけない。  いや、たとえ従僕であったとしても連れてはいけなかっただろう。  彼とは違う人と夫婦である事を彼にだけは見られたくはない。  そう考えるとこれで良かったのだと思うのに、温かかった心は凍える程に冷たく、気持ちがどんどん沈んでいった。 *****  嫁ぐ準備をしながら聞こえてきた使用人たちの噂話。僕本人に聞かれていてもお構いなしだ。それでも僕がまだ今よりもっともっと幼く、家族から愛されていた当時を知る人間は少しだけ遠慮が窺えた。だけどその頃の事を知らない人間は僕は最初からこの家に要らない人間だったんだと思っているようだった。  今更そんな事に傷ついたりはしない。ただ、僕は家の為に売られるという事、上位の子爵家と縁を繋ぎ、お父様は爵位を上げようとしておられるという実の家族からの仕打ちを聞かされる事は、分かっていた事とはいえとても辛く痛いものだった。  こんな風に扱われ始めたのは僕がまだ五歳やそこらの話で、お母様が男爵であるお父様を捨て子爵様の元へと行かれた、その事実がお父様を今も蝕み続けている。身分がお母様を奪ったのだと。  だけどお母様は家を出て行かれる際、僕にだけこうおっしゃった。 「私はあなたのお父様の事を愛していないの、最初からただの一度もね。うちは貧乏で、当時はヴァレンシスももう少しだけ裕福だったから病気の妹の為にも私は嫁ぐしかなかった――。結局妹は助からなかったし……三人も子どもをもうけたのだもの妻としての義務は果たしたわ、そろそろ愛に生きてもいいと思わない?」  当時の僕にはお母様のおっしゃる事の意味は分からなかった。けれど、お母様は幸せになる為にここを出て行くのだという事は分かったから、引き留めなかった。  自分も連れて行って欲しいと思ったけれど、残されるお父様の事を思うと言えなかった。  そうやって見送ってしまった事でお父様は僕の事をお嫌いになられたのかもしれない。あの時お母様に泣いて縋っていたなら考え直して下さったかもしれなかったのだから。僕だけがお母様を引き留める事ができたと思うから。  だから僕は家の為、お父様の為にできる事をしなくてはならない。お父様から幸せを奪ってしまったのは僕だから――。  ずっと願っていた事だったけれど、嬉しい気持ちは少しもなく胸が酷く痛むだけだった。  お母様もお父様に嫁がれた時、こんなお気持ちだったのだろうか――。  
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