前編「信長という者」

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前編「信長という者」

 「剛田助吉を呼ぶがいい。」  彼にとって、殿に直接下された命令だった。喜ばしいことだが、後からこれほど恐ろしいことに繋がるとは、彼自身は思わなかった。  かつて、何千万もの軍勢を圧倒させた最強の武士がいた。  彼は、元々源氏の一軍であった。しかし、驚異的な戦術を見せ、大きな優位に立たせたのだ。  戦いに一段落がつき、祝杯の宴をしているところ、彼は、知らぬ間に行方をくらました。寡黙で、周りにとっては存在感が薄かったらしい。  彼がどこに行ったのか。それは、織田信長や徳川家康が活躍する時代に、一人の武士が見つけるのだった。  「あなた様は・・・!」  深い森の中にある小屋に、彼は暮らしていた。火をおこしている彼を見て、武士は、目を潤ませて寄ってきた。  「なんだよ。」  顔と顔が当たりそうなほど近づいてきたので、彼は、驚いて後ずさりをした。  「あなた様は・・・あの戦で、平家を圧倒させた剛田殿で!」  「いかにも。お前さん、若いのによく知ってるな。」  「当然のこと。祖先から父からと、言い伝えられてきましたから。しかしながら、月日が流れたものの、あなた様もお若いですな。」  「あぁ。お前さんと変わらないかもな。ところで、何故ここに来た?」  「恥ずかしながら、戦の中、迷い込んでしまって。」  「ハッ、馬鹿なやつじゃ。迷子になったお前もそうだが、今でも、血を流すほどの争いを起こしているとはな。」  「・・・。」  「おい、今は、誰と戦ってんだ?」  「今は、西軍、東軍と分かれて。話せば長くなるのですが。」  「それはいい。誰だと言ってるんだ。織田軍だの言うだろ。」  「あっ、とんだ御無礼を。拙者は、信長様に仕えているのですが、今は、今川軍と戦っております。」  「は、川。笑えるな。」  「・・・。」  「馬鹿者!今のは、笑うところだ!」  「申し訳ございませぬ!」  織田軍の武士は、ぺこぺこと頭を下げながら、剛田の話を聞くのだった。  森を出た時には、戦いが終わっていた。こういう時、恐る恐る本拠地に戻るのが、普通だが、武士は、反省もない自信に満ちた表情で戻ってきた。  「酒井!お前、何をしとったんだ。」  「申し訳ございませぬ。お叱りは後ほど。」  「おいっ!」  いつも叱ってくれる仲間を通り過ぎ、酒井は、襖をあけ、織田信長のいる大広間へ向かった。  「失礼いたします。」  「どうした。」  鋭い目付きで、信長は見つめた。戦で逃げたと思われているのだろう。そういう怒りを感じさせる。  「申し上げます。あなた様が願っていたことが叶うやもしれませぬ。」  信長は、目を見開き、表情を変えた。  「まことか。」  信長は、天下統一を果たすために、かつての武士「剛田助吉(すけよし)」のような最強の武士が仲間に加わることを願っていた。  酒井は、迷い込んだ森で、剛田と会ったことを明かした。  信長は、ニヤッと微笑みを浮かべ、命じた。  「ならば、彼を呼べ。剛田助吉を呼ぶがいい。」  「ははぁっ!」  喜ばしい顔で酒井が部屋を出た後、一人の側近が信長に寄り添った。  「いいのですか?あやつは、戦から逃げたことを無きものにするために、ありもしない嘘を言ったのかもしれませぬよ。」  「分かっておる。源氏と平家だの、昔の話だ。かつての武士など、生きてるはずもない。」  「では、なぜ?」  「楽しむためよ。あやつがいかなる言い訳をし、嘘を突き通すのか。事によっては、利用できるやもしれぬな。」  「殿、あなた様は、やはり天下統一に相応しいお人ですわ。」  「それは分かっておるわ。」  信長は、側近の鼻を指で触った。指の腹が白くなり、側近の鼻の真ん中だけ近く肌色が見えた。  「アハハハハハハハハハハハハハっ!」  「ハハハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハッ!」  二人の高笑いは、二部屋隣りまで聞こえるほどだったという。  翌朝、酒井は、再び剛田のもとへ訪れた。  剛田と酒井は、小屋の中で、囲炉裏を囲んで座った。  剛田は言った。  「三日待て。三日後だったら、行ってやる。」  「それは、何故・・・?」  「俺を疑っているのか。偽者じゃないかと。」  「いえ、そのようなことは。」  必死で否定する酒井の目の前に、刀が向けられた。しかも、額の真ん中に。  「この刀で、ここを突き通すせば、どうなると思う?」  酒井は、唾を飲み込み、黙った。  「そうだな。頭がえぐられるから、まず、馬鹿にはなるな。見ているものが歪み始め、思い通りに動けなくもなる。」  剛田は、次に、刀を左側のこめかみに向けた。  「次に、ここを突き刺す。やつらは、首を斬ることで、すぐにあの世へ送るというが、実際はこうらしい。これしきの知恵があっても、俺を疑うか?」  「い、いえ・・・。」  三日過ぎるまでの間、織田信長の城では、様々な出来事があった。  まず、茶会のことだ。  大広間に、茶道家を招き入れ、家臣などを囲み、行われた。  茶道家の腕は、実に器用で繊細だった。茶筅(ちゃせん)を回す際は、一定の動きがとれていて、サササっと心地よい音が沈黙の空間に響き渡る。  信長は、この音に眠気をそそられたのか、側近の胸元に枕代わりにし、座りながら寝てしまった。  「信長様、どうぞお召し上がりください。」
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