ベイビー&ゴースト

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  *   2   * わたしがその事件を知ったのは二年前のことだった。当時中学三年生だったわたしは、学校の課題をしているときに記事を見つけた。 新聞の片隅に記された、とある誘拐犯が、獄中で死亡した記事――。 当時21歳だった桜庭凛子は、とある秋の日に少年と赤ん坊を誘拐した。少年は近藤玉城という名で、赤ん坊は彼の弟だった。 桜庭凛子は二人をアパートに半日ほど監禁したが、夕暮れ時に少年が逃走した。少年は逃げ帰ろうとしたものの、途中で車に撥ねられて死亡した。桜庭凛子は赤ん坊を連れて逃走したが、翌日に警察に捕まった。裁判の結果、彼女は刑務所に20年入れられることになったのだけど、風邪をこじらせ肺炎になり、看守がそれを見過ごしたため死亡した。 どの町にでもありそうな、ささやかで不幸な事件だった。 記事を読みながら思ったのは、どうしてこの人は他人の子供や赤ん坊を誘拐したのかということだった。 動機を知りたかったのだけど、記事に記されてるのは、単なる事実だけだった。    *   *   * 何週間かが経つ間に、たくさんの散歩をした。雨の日も風の日も、キヨタダとぶらぶら町をねり歩いた。 少年の件にはびっくりしたけど、わたしは特に関わろうとは思ってなかった。散歩をするので忙しかったし、いいことがあるとも思えなかった。 とは言えそれはわたしのほうの事情である。 幽霊に一度会うと繋がりのようなものが出来るらしく、キヨタダの散歩をしてると男の子によく遭遇した。勝手にキヨタダを撫でるくらいなら無視をしたけど、彼はなかなかのわんぱくボーイで、悪戯をたくさんされた。スカートめくりは7回されたし、変な虫を4回も投げつけられた。 これにはわたしも、腹が立った。 「人にバッタを投げつけるのは、やめなさい!」 散歩中、イタズラしようと近付いたのを叱りつけると、男の子は大きく目を開け、驚いていた。でもって、輝くような笑顔を見せた。 「びっくりしたよ! 人に話し掛けられるなんて、久しぶりだ!」 「それはもう、なんども聞いた!」 「そうなの?」 「なんで覚えていないのよ!」 「どうしてそんなに怒っているの?」 「あなたが何度も変なことをするからでしょう!」 「そんなこと言われても、覚えてないよ。最近どうも忘れっぽくて、困っちゃう」 すっとぼけた反応をされ、血圧があがる。 男の子はそういうのを気にしない性格らしく、マイペースに世間話をし始めた。 「お姉さんこそ、なんでこんな遅い時間に犬の散歩をしているの? 九時過ぎに出歩くだなんて、不良なの?」 「夜じゃないと散歩が出来ないんだよ」 昼間は学校があるし、部活にも出なきゃならないから忙しいのだ。このことだって、もう何回も説明したのに忘れている! 「ところで僕のお母さん知らない? 探してるんだけど、見つからないんだ」 そしてこの質問である。 相手をするのが馬鹿馬鹿しくて、すごく疲れた。 「それも、何度も、聞かれた。たっくさん」 「そうなんだ。しつこくて、ごめんね」 「あなたのお母さんは、こんなところにはいないから。別のところを探しなさい」 「別って言っても、よくわかんないよ。住所もよく覚えていないし」 それは初めて会ったときに、言ってたことだ。このまま一人でさまよわせても、きっとまた虫を投げられるだろう。アリ、カナブン、セミ(死骸)、カブトムシ(♀)、バッタ(未遂)と来ているので、いずれGで始まる黒いやつを投げられないとも限らない。正直それは、かなり避けたい。 「……じゃあ、わたしが家まで案内するから、ついてきて」 仕方なくそう言うと、男の子はアゴが外れたみたいに大口開けて驚いていた。 「知ってるの? 僕んちの住所」 「……まあ、調べたから」 「すっげえや!」 男の子はバッタを手放すと、昆虫臭い手でわたしの手を取り、上下にぶんぶん振り回した。ちいさな体に山盛りのパワーである。 「お姉さんって、いい人だね! 美人だし! 綺麗だし! 結婚してもいいよ!」 「……お世辞はいいし、結婚もイヤ。そして痛い」 「お世辞じゃないよ! 実は僕、お姉さんみたいな人、ものすごいタイプなんだ!」 「……そろそろ離してくれない?」 「お姉さんって、クールだね! そういうのも嫌いじゃないよ!」 いまいち反応に困るお子様だけど、疲れちゃうので手だけは離して頂いた。 「じゃあ、いくよ」 キヨタダを連れて歩き出すと、男の子は後ろについて歩いて来た。なんだかドラクエのキャラクターみたいである。 この子が生前住んでいたのは新所沢という町で、徒歩だと2,30分かかってしまう。往復するとかなり時間を取られるので、あまり気乗りはしなかった。 とは言えわたしは、桜庭凛子とこの男の子を会わせたくない。どちらかが相手のことを覚えていれば、それだけで不幸なことが起きるからだ。自分が放っておいたせいで不幸なことになるというのは、心苦しい。 「どう? そろそろ見覚えのある風景が増えてきたんじゃない?」 番地の変わるあたりで聞くと、男の子はこくこくと頷いていた。黙っていれば可愛らしいものである。 黙々と歩いて目的地まで辿り着くと、改めて質問してみた。 「あれがあなたのお家だけど……見覚えある?」 わたしが指さしたのは、昭和の名残のある古めかしい一軒家だった。情報が正しければ、あそこがこの子の住んでいた場所である。 「たしかに、なんか、懐かしい気がする……」 「じゃあ、お母さんがいるかどうか、確かめてきてごらん。キヨタダがいれば、少しくらいはお話できるし、待ってるから」 「……いいの?」 「わたしの気が変わらない内に、行っておいで。そして早く成仏なさい」 こく、と頷くと少年はおそるおそる家に近付く。敷地をぐるりと一周すれば、窓の一つも開いてるだろうし、そこから中に忍び込めるだろう。 待ってる間、暇だったので熱々の紅茶を飲むことにする。一口すすると豊かな香りがいっぱいに広がり、ふと、桜庭凛子の安らいだ顔を思い出した。 「今ごろ、喉を渇かせていないかな……」 そう言って、キヨタダにも分けてやる。愛らしい柴犬は、赤い舌をしきりに動かし、喉の渇きを潤していた。 そんなこんなで10分ほど経ち、男の子が帰ってくる。 てっきり興奮しているのかと思いきや、少年の顔にはタテ線が入って、今にも死にそうな感じだった。 「どうだったの?」 「お母さん、額に飾られてた……」 死んでたのはお母さんのほうだった。 「ご愁傷様」 「でも、なんか、おかしいんだよ……。こんなはずないんだ……」 動転してしまってるようで、男の子はぶつぶつと呟いていた。あまりに可哀想だったので、わたしは背中をさすってあげることにする。 「確かに悲しいと思うけれど、落ち着いて。やけっぱちになってはダメよ」 「そうじゃなくて、あれ、お母さんの写真じゃないんだ……」 「そうね。あれはお母さんじゃないから」 「わかってない! あれは……お母さんはお母さんなんだけど、僕の探してたお母さんとは違うんだよ!」 頭のおかしい発言だった。どうやら本格的に参っているみたいである。 「じゃあ僕はあの町に戻るから。さよなら親切なお姉さん」 そのくせ行動はやたらと早い。 わたしは困った。 「どうしてあそこに戻るのよ!」 「あの辺りは居心地がいいんだよ。空気が甘くて落ち着くんだ。それにあの辺を探してればお母さんにも会える気がする」 「戻っちゃだめ!」 「なぜ?」 「あなたは誘拐されていたのよ」 「へえ。そうだったんだ」 「リアクションが薄いようだけど、本当なんだから! 犯人も死んじゃったから、あそこにいると見つかって、八つ裂きにされるよ! だから、さっさと成仏するか、消えるかしなさい!」 「それって、どんな人?」 「どんなって、犯人のこと?」 「うん。写真とかない?」 ちょっぴり考え、スマホを使うことにした。ポケットから現れた長方形の塊を目にすると、少年は不思議そうな顔をした。 「なにそれ?」 「スマホよ。携帯電話が進化したの。あなたの時代にはなかったかもね」 「よくわかんないけど格好いいね。ハイテクっぽい」 画像を検索して見せてあげると、男の子は飛び上がって画面を指さした。 「どうかした?」 「こ、こ、この人だよ! この人が僕の“お母さん”だよ! この人のことを探していたんだよ!」 ぱちぱちとまばたきすると、眉をひそめてわたしは言った。 「あなた、なに言ってるの?」
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