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第五話 *沈黙*
雪がとけて川になって流れ、世間は春。
出会いだの別れだので桜吹雪舞う今日この頃だ。
自分で言うのもなんですが、若い頃はこれでも女性に言い寄られる方だった、と思っている。
妻は悠輔を産んで体調を崩し、ほどなくして帰らぬ人となった。
彼女とは幼なじみで、俺が美容師になろうと思ったのも彼女の影響だった。
病気がちな彼女はあまり外には出られず、部屋で本を読んでばかりいた。色白で、黒髪は長く伸びていたので、同級生から、幽霊みたいとからかわれていた。
彼女は気にもとめていなかったが、幽霊って美人が多いよね、と言ったら、見たことあるの?と真面目に返された。
髪が伸びすぎたので切って欲しいと彼女に言われた。
髪を切るためのハサミも用意されていた。
人の髪を切ったのは、彼女が初めてだった。
「もう少し綺麗に切ってよねー」
「そんなこと言われたって、人の髪なんて切ったことないしさ」
「じゃあ次はもっと綺麗に切れるってことよね」
いつの間にか、カットが上手くなっていた。
バレンタインデーが近づいてきた。
「今年はいくつもらえるんだろうね」
彼女が読んでいた本を閉じた。
「どうせ義理チョコだしなぁ」
「義理チョコと本命のチョコってどうやって識別してるの?」
「渡し方?」
「渡し方がどうちがうの?」
「義理チョコだと、みんなにも渡してるし、お歳暮とかお中元のような雰囲気だよな」
「あー、なるほどねイベント的な」
「好きです!とかの告白もないし、ラブレターもついてない」
「じゃあ、好きです!って渡されたら本命?」
「たぶん、、って、奈緒は本命チョコ誰かに渡すの?」
「どうしようかなぁ、、手作りとかしたことないしなぁ」
「別に手作りじゃなくてもいいんじゃないの?好きですって言えば」
「そうなの?」
「たぶん」
「本命チョコ、もらったことあるの?」
「あるといえば、あるかな、2、3個だけど」
「それで、どうしたの?」
「え?ありがとうって受け取ったよ」
「ん?それだけ?」
「え?それだけって?」
「え、付き合ってくださいとか言われなかったの?」
「あれ?そう言えばいわれてないっけ?」
「覚えてないの?」
「あ、いや、好きです、って言われて、おう!ありがとな!って受け取って、そのまま、、」
「は?」
「え?」
しばらく、沈黙が続いたが、とくに気まずくはなかった。
「もしさ、私が暁くんに本命チョコ渡したら、受け取る?」
「え?くれるの?チョコ」
「もしも、の話し」
「くれるもんはそりゃ受け取るさ」
「それって義理チョコでも本命チョコでも変わりなく?」
「義理チョコだからいらないとか、本命しか受け取らないとかはないな」
「そっか」
奈緒はまた本を開いて読み出した。
俺はバレンタインが楽しみになった。
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別れ
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