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第6話 秘密
賑やかな飲み屋街が立ち並ぶ木屋町通を真っ直ぐ京都駅方面へ進むと、ちょうど四条通を越えた辺りから閑静で風情のある町並みへと変化する。
隣にいる係長は、厳しい表情を浮かべたまま足元を見つめて歩いていた。
普段は笑みを絶やさない上司のそんな姿を見るのは初めてで、俺は自分勝手な行動を悔やみ始めていた。
「あの……さっきはすみませんでした」
気まずい空気に耐え切れず吐露すると、彼は足を止めてこちらに視線を向けた。
「俺、許せなくて。係長のこと馬鹿にしたような態度が。……でも、公務で来てるのに立場もわきまえず、すみませんでした」
「いや、いいんだ。気にするな」
掠れた声で呟くと、彼は躊躇いがちに視線を足元へ移した。
「さっき……葉山に何て言われた?」
恐らく、それが一番聞きたかったことだ。
でも、咄嗟には気の利いた嘘が思い浮かばない。
こちらの態度を察して、彼は足元を見つめたまま、強く拳を握りしめていた。
息をすることすら苦しそうに、眉を寄せて歯を噛み締めている。
重苦しい沈黙が続いた。
きっと、俺は絶対に触れてはいけない部分に触れてしまったんだ。
「橘……この事は、誰にも言わないでほしい。絶対に、お前には迷惑かけないから……」
「迷惑……」
思わず顔を歪めると、彼は一転して懇願するような眼差しで俺を見つめた。
「お願いだ、橘……」
泣きそうな顔をしている──ように見えた。
なんて哀しい表情をするんだろう、この人は。
俺が尊敬する完璧な上司像が崩れていく。
凛とした百合の花が、心無い他人に土足で踏み荒らされて、見るも無惨に枯れゆくようだった。
俺は横並びに立つと、隣で強張っている体を肩で押した。
「そんな顔しないでください。絶対に秘密は守ります」
一、二歩よろけて体勢を整えた時には、ほんの少しだけ、その表情が和らいだように見えた。
1人で秘密を抱えて苦しんでいる。
そう思うと、その苦しみを少しでも和らげてあげたくて、側に歩み寄った。
「あの、この機会なんで言いますけど、俺も話してなかったことがあるんです」
「……?」
「俺は両性愛者です」
近距離で彼と目が合った。
驚きで、その美しい二重の瞳が、更に大きく見開かれている。
目を奪われていた。
衝動か本能か、更に顔を近付ける。
鼻先が触れ合った。
「俺と係長だけの秘密ですよ?」
怯えて警戒する小動物のような瞳。
澄んで潤んだ小宇宙。
この目に惹かれる自分がいる。
もし、このままキスしたら、どうなるだろうか──。
「た、ちばなッ……!」
既の所で回避された。
あとちょっとで、その柔らかそうな唇に触れることができたのに──。
逃げられて当然だ。
なのに、何だろう……この感じ。
「何やってんだお前っ……」
「何って、キスしたくなってつい。すみません」
「はぁ?! 真面目な顔して冗談言うな!」
いつもの係長に戻ってる。
赤面した顔を見られまいと、早足で歩き始めたその背中に頰が緩んだ。
「とりあえずホテル戻ったら飲み直しましょ。明日の予定も決めないと」
「平然と話逸らすなっ……ほんと、何考えてんだお前は……!」
「謝ったじゃないですか。それとも、動揺してるんですか?」
「うるさいっ……!!」
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