第6話 秘密

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 次の日、ホテルで朝食を済ませると再び京都駅へと向かった。  係長は白い半袖のプルオーバーに黒のテーパードパンツと革靴を合わせてリュックを背負っている。  カジュアルダウンした服装になると歳の差を感じさせない。 「あと7分で電車がくるぞ」  腕時計を確認しながら足早にホームに入ろうとした時だった。 「あの、fragileの(のぞむ)さんですか?!」  花柄のワンピースを着た20代の女の子が突然声をかけてきた。 「いや、違います」  困惑しながら首を振っているが、その子は気にも止めずバッグの中から携帯を取り出している。 「一緒に写真撮らせてもらってもいいですか?」 「いや、だから人違い──」 「お願いします!」  その声が思いの外大きく、周囲の注目を浴びてしまった。  慌てたのは係長の方だ。  女の子相手に真摯に対応しようとして自分の首を絞めている。 「係長、電車出発しますよ」  見かねて俺が背中を押した。 「悪いけど急いでるから」  言い捨てるように冷たく一瞥すると、彼女は口を噤んでその場に立ち尽くしていた。  ホームに着くと、既に電車が停まっている。  並んで座ると、隣から溜息が聞こえた。 「悪い、助かった」 「いえ」  そう言いながら携帯を取り出す。  フラジール、望で検索するとバンドのグループ写真がズラリと画面を埋め尽くした。  中でもシルバーアッシュの髪色をした中性的な顔立ちの男が目を引いた。  色が白く鼻筋が通っていて、形の良い二重瞼に薄い唇。  化粧はしているが確かによく似ている。 「いつの間にメジャーデビューしたんですか?」  携帯の画面を見せると、彼はうんざりしたような表情で口角を下げた。 「他人の空似ですね。でもこれは勘違いするかも」  反応が返ってこない。  視線を上げると、外の景色を見つめるその眉間に皺が寄っているのに気付き、俺は気を悪くしたのかとそれきり口を閉じた。  電車は鴨川を渡り、市街地を南下していく。  乗車して2駅で稲荷駅に到着した。  下車する客は外国人観光客がほとんどで、ホームは人で埋め尽くされている。  その流れに沿って狭い通りを歩いて行くと、千本鳥居で有名な伏見稲荷大社に到着した。  本殿に参拝し、境内を左回りに進むとお目当ての朱色の鳥居群が奥へ奥へと参拝客を誘導するように立ち並んでいる。  途中、その鳥居群が二手に分かれた。 「行きは右、帰りは左を通るんだ」 「一方通行なんですか?」  道はカーブしていて先を見通すことができない。  前にも後ろにも無数の朱色の木枠に囲まれて、まるで無限回廊にでもいるかのような不思議な気分だ。  前を行く観光客の背中を時折見つめながら歩いていると、5分ほどで奥社に辿り着いた。  参拝を終えると係長が俺を手招きする。 「橘、これ持ってみろよ」  指差す先には、おもかる石と書かれた石の灯籠が2基並んでいた。  灯籠の上に置かれた擬宝珠(ぎぼし)をそう呼んでいるらしい。 「持ち上げた時に軽く感じれば願いが叶うんだってさ」 「占いみたいなもんですか」  ぼんやりと頭を悩ませながら目の前の上司を見つめる。  淡い桜色の唇。  薄いが形の良いその口唇に、触れられたらどんな気分だろうか。  そう思うと、やっぱり昨日のキスは惜しかった。  賽銭をして願いを込めながら石を持ち上げてみる。 「どうだった?」 「くっそ重かったです」  係長は無邪気に腹を抱えて笑った。 「お前の願いは当面叶わないな」 「そうですか……残念です」  そこから更に鳥居の参道を登り続ける。  上に登れば登るほど混雑は緩和され、神秘的な空気を肌で感じることができた。 「中学に入る頃までは毎年ここへ初詣に来てたんだ。うち、実家が小料理屋だから商売繁盛を願ってさ」  足元に目を落としながら歩くその姿に、昨日の葉山の言葉を思い出していた。
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