第6話 秘密

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 四つ辻に到着すると、京都市内が一望できる平場があり、すぐ側には茶屋が併設されている。 「何か飲むか?」  店先で飲み物を奢ってもらうと、しばらく市内の景色を眺めながら休憩することにした。 「この辺で折り返すか」 「まだこの先があるんですか?」 「頂上まで続いてるけど景色は楽しめない。見晴らしはここが一番かな」  その言葉に、素直に従うことにした。  復路を歩く背中を追いかけながら、俺は昨晩から気になっていたことを問いかけてみた。 「さっきの話の続きですけど、御実家には帰られてるんですか?」  すると罰が悪そうにシャツの襟足を触っている。  答えに困った時の癖みたいだ。 「まあ……ちょっと学生時代に色々あって。就職して家出てからは、一度も帰ってないんだ」  自嘲気味に笑うと、その場の雰囲気を取り成すように強く俺の背を叩いた。 「少し早いけど、店が混雑する前に昼飯食いに行くか」  京阪電車に乗り込むと、祇園四条駅で降りた。  多くの人がこの駅で降りていく。  そのうち、人通りの多い幹線道路から一歩路地へと入った。  道の先には小川が流れ、小川と並行して石畳の道が広がっている。  歩道の脇に等間隔に植えられた柳の木が、風に撫でられその葉を揺らしていた。  係長は通り沿いの一軒の店に入ると、出迎えてくれた若い女性に声をかけた。 「おかみさんいますか?」 「あ、はい。少々お待ちください」 しばらくして、店の奥から品のよさそうな和装姿の女性が現れた。  ふっくらとしていて人当たりの良さそうな優しい目をしている。  その目がこちらに近付くにつれ、見る間に大きく見開かれた。 「あんた、(たける)やないの……?! お母さんから横浜行ったて聞いてたけど、元気にしてたんか?! しばらく見いひん間に男前が上がったねえ……!」  彼女は嬉しそうに声をあげると、その腕を引き寄せ力強く抱きしめた。 「おばちゃんも全然かわらへんな」 「まあ〜嬉しいこと言うてくれるわ。すっかり口が上手なって……。せっかく顔見せてくれたんやし、ご飯でも食べていきよし。お隣の方はお連れさん?」 「部下の橘です」  頭を下げると、彼女はすぐに店の中へと案内してくれた。  奥へ奥へと続く長い廊下の先には坪庭があり、その庭を眺めることのできる10畳程の和室に通された。  まさに京都の町屋といった雰囲気で、建物の歴史も楽しむことのできる贅沢な空間だった。 「ちょっと待っててな。いつもの用意するさかい」  入れ替わりに若い女性がおしぼりと水を持ってきてくれた。 「雰囲気のいい店ですね」 「ここのおかみさんは母の同級生なんだ。子供の頃からよく世話になってて、飯もよく食わせてもらったんだよ」  配膳されてきたのは大きな油場げが入ったきつねうどんと親子丼のセットだった。  うどんの汁は色が薄いが、出汁がきいていてこくがある。  油揚げは肉厚で、口に入れるとじゅわっと甘い汁が溢れ出した。  刻み葱が添えられているのも良いアクセントになっている。 「美味いですね」 「だろ? 俺、ずっとこの味が食べたかったんだ」  向かいに座って嬉々としてうどんを啜る姿が少年のようで可愛らしい。  食べ終わる頃にはおかみさんが再び顔を出してくれた。  お盆には、わらび餅の入った小鉢と湯呑みに入ったアイスコーヒーが載っている。 「ほんで、こっちにはいつまで? 久しぶりに帰ってきてお母さん喜んだはったやろ??」 「いや、今回は仕事で来ただけやから。おばちゃんのごはん食べられただけでも来た甲斐あったわ」 「そうか、なんや残念……。またいつでもええし顔出してや??」  彼女は困ったような悲しそうな表情をしたが、それきり余計なことは言わなかった。
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